サッポロビール発祥の地に佇む構内札幌神社

札幌の中心部から東側に位置する複合商業施設「サッポロファクトリー」。
「開拓使麦酒醸造所」をルーツとするサッポロビール発祥の地として知られ、敷地内に今も残るレンガ造りの建物やそびえ立つ煙突などが、往時の面影を今に伝えています。
賑わいのある商業エリアとは一線を画す場所に佇む「構内札幌神社」もその歴史の証人です。
この記事では、サッポロビール札幌工場の守り神として創建されたこの神社の歴史や魅力に迫ります。
構内札幌神社のご由緒

(北海道大学付属図書館蔵)
神社前に立つ由緒書によると、構内札幌神社は北海道総鎮守である札幌神社(現在の北海道神宮)のご分霊を受け、明治45(1912)年に大日本麦酒株式会社(現在のサッポロビール株式会社)札幌工場の構内に建立されました。
大日本麦酒株式会社は、明治39(1906)年に札幌麦酒・日本麦酒・大阪麦酒の3つのビール会社が合併して誕生しました。
中でも札幌麦酒は、明治9(1876)年に北海道開拓使によって設立された麦酒醸造所にルーツを持ち、国産ビールの発展に大きな役割を果たしました。
麦酒醸造所はその後、大日本麦酒株式会社の札幌工場となりますが、その守り神として建てられたのが構内札幌神社なのです。
札幌工場は平成元(1989)年にその役割を終え、跡地にはサッポロファクトリーが建てられましたが、交際札幌神社は今もこの地に鎮座し、サッポロビール発祥の地を見守り続けています。

構内札幌神社のご祭神
構内札幌神社は、札幌神社(現在の北海道神宮)からご分霊を受けた3柱の神様をお祀りしています。
- 大国魂神(おおくにたまのかみ)
- 大那牟遅神(おおなむちのかみ)
- 少彦名神(すくなひこなのかみ)
現在の北海道神宮には、これら3柱の神々に加え明治天皇がお祀りされていますが、これは戦後にご祭神となったものです。
そのため、明治末期の創祀である構内札幌神社には、明治天皇は祀られていないと考えられます。
なお、3柱の神々は国土経営や開拓の神とされ、なかでも少彦名神は酒造りの神として信仰されています。
ビール工場の守護神として、まさにふさわしいご祭神と言えるでしょう。
構内札幌神社の周辺
行幸記念碑

神社の左手には、「行幸記念碑」と刻まれた小ぶりな石碑が静かに佇んでいます。
石碑裏面の銘文には、下記の行幸啓を記念し、昭和12(1937)年に建てられたと記されています。
- 明治14(1881)年:明治天皇が開拓使麦酒醸造所へ行幸
- 明治44(1911)年:東宮(後の大正天皇)が大日本麦酒株式会社札幌工場へ行啓
- 大正11(1922)年:摂政宮(後の昭和天皇)が大日本麦酒株式会社札幌工場へ行啓
歴代天皇・東宮が行幸啓されていることからも、同社のビール製造が札幌を代表する産業であったことがうかがえます。

(北海道大学付属図書館蔵)
植村澄三郎翁像

構内札幌神社の向かいには、「植村澄三郎翁」の胸像が設置されています。
植村澄三郎は文久2(1862)年甲府生まれで、明治27(1894)年に渋沢栄一の求めで札幌麦酒株式会社の専務取締役に就任。
以後、札幌麦酒の実質的な社長として、また大日本麦酒株式会社発足後はその経営の中枢を担い、昭和5(1930)年まで同社の発展に大きく貢献しました。
ちなみにこの銅像は2代目にあたります。
初代は昭和13(1938)年に植村翁の喜寿を記念して札幌工場に建てられたものの、太平洋戦争中の金属類回収令により数年後に供出されて失われたそうです。
歴史と共に歩む構内札幌神社を訪ねて

サッポロファクトリーの東側にひっそりと佇む構内札幌神社。
多くの観光客や買い物客で賑わう西側のレンガ館周辺とは対照的に落ち着いた空気が漂い、行幸記念碑や植村澄三郎翁像とともに、サッポロビールの歴史を静かに伝え続けています。
ビール工場からショッピングモールへと変身を遂げたこの地を、今も見守り続ける歴史の証人となっています。
サッポロファクトリーを訪れた際には、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
アクセス
アクセス;地下鉄東西線「バスセンター前」駅より徒歩3分。
こちらもおすすめ
[PR]もっと詳しく知りたい方へのオススメ書籍
|
参考文献
「サッポロビール120年史」(サッポロビール株式会社広報部社史編纂室 編/1996年)
[PR]RWCは人事業界の家庭医です。調子が悪いな…と感じたらお気軽にご相談ください。

🍀RWCならソレ解決できます🍀