札幌の奥座敷の守り神・定山渓神社
札幌の奥座敷・定山渓温泉の温泉街からほど近く、国道230号線に面した高台からこの地を見守るのが、地域の守り神である定山渓神社です。
今回は降り積もった雪を踏み分けつつ参拝しましたので、その様子と合わせて定山渓神社をご紹介します。
定山渓神社のご由緒
定山渓地区の歴史
定山渓温泉は安政5(1858)年に松浦武四郎により発見され、その後、僧侶の美泉(みいずみ)定山により慶応2(1866)年から開発が進められた温泉です。
明治時代には複数の温泉宿が開かれ、湯治場として知られるようになります。
大正時代には、近隣で操業を開始した豊羽鉱山の社交や娯楽の場として需要が高まったこと、また、定山渓鉄道の開通により札幌市内とのアクセスが大幅に改善したことなどを背景に、行楽に訪れる人々が大幅に増加します。
こうして発展した定山渓温泉は、現在も「札幌の奥座敷」として多くの人々に親しまれています。
定山渓神社の沿革
定山渓温泉の沿革は資料によって相違があり、その創建時期も、明治38(1905)年や明治44(1911)年と諸説あるようです。
いずれにせよ、明治末期頃に地区の有志により創建されたものと思われます。
また、大正7(1918)年には社殿を改築し、現在のご祭神のうち5柱をお祀りしたともいいます。
これは豊羽鉱山や定山渓鉄道の恩恵により定山渓温泉が発展し始めたのと同時期に当たり、この頃に神社としての体裁が整えられたのかもしれません。
第二次世界大戦後には、ご祭神に美泉定山命が加えられ、また宗教法人となるなどして現在に至ります。
定山渓神社のご祭神
定山渓神社には、全部で6柱の神様が祀られています。
- 大己貴神(おおなむちのかみ)
- 少彦名神(すくなひこなのかみ)
国造りの神様として知られる大己貴神と少彦名神は、定山渓神社を兼務社としてその祭事を執り行っている三吉神社のご祭神でもあります。
- 大山祇神(おおやまつみのかみ)
- 罔象女神(みずはめのかみ)
- 金山彦神(かなやまひこのかみ)
大山祇神と罔象女神はその名前から分かるように、それぞれ山と水の神様です。
鉱山の神様である金山彦神が祀られているのは、温泉街の発展に大きく寄与した豊羽鉱山の影響でしょうか。
- 美泉定山命(みいずみじょうざんのみこと)
美泉定山命は定山渓温泉の開発に尽力し、その名の元となった美泉定山その人のことで、昭和25(1950)年に新たに祭神に加えられました。
定山渓神社の境内
鳥居と社号標
参道に続く階段と鳥居は国道230号線に面しており、バス停のすぐ側なので道に迷うことはないでしょう。
ただ、この日は朝から雪模様で足元が悪く、手すりをつかっても階段(というか雪の斜面)を昇ることができず、階段の西側(中山峠側)の道から迂回して参拝しました。
狛犬
狛犬は参道の鳥居側に一対、本殿側に一対の合計二対置かれていますが、4頭とも頭に大きな雪の帽子をかぶり、ちょっと寒そうでした。
この日は積雪があり近づくことができなかったのですが、鳥居側の一対は写真で見るとクリクリした目で可愛らしい顔立ちをしています。
再訪の機会があれば、ぜひ間近で見てみたいですね。
本殿
定山渓神社の本殿は、白壁に濃色の柱と赤い屋根のコントラストが印象的です。
賽銭箱はなく、お参りの際は扉に設けられた丸い穴にお賽銭を入れるようになっています。
盗難防止のためかと思いますが、他ではあまり見かけないシステムですね。
失礼ながらお賽銭用の丸穴からご本殿の様子を伺ったところ、お神輿が二つ安置されていました。
毎年9月10日の例祭の日に温泉街を練り歩くお神輿かもしれません。
定山渓温泉雪灯路
「定山渓温泉雪灯路」は、定山渓神社を会場として毎年1月末から2月初旬に行われる、アイスおよびスノーキャンドルイベントです。
期間中は定山渓神社の境内だけではなく温泉街にも数多くのキャンドルが灯り、その幻想的な雰囲気を楽しむために多くの人が定山渓を訪れます。
この日は定山渓温泉雪灯路が終了してから10日ほどたっていましたが、境内にはまだアイスキャンドルが融けずに残っていました。
小祠
本殿の向かって左横に、小さな祠がありました。
昭和13(1938)年、地元の方が定山渓の発展を願い、朝日岳(岩戸観音堂の裏手の山)・無意根山(むいねやま、札幌市と京極町の境にある)・定山渓神社に祠を奉納した記録があるそうなので、その祠かもしれません。
雪で埋もれて見えませんでしたが、祠の隣には馬頭観世音碑もあるそうなので、いずれ雪のない時期に再訪して、確認してみたいですね。
まとめ
定山渓神社は社務所もなく規模の大きな神社ではありませんが、市街地から離れた山間にある寂びた風情に魅力があると感じました。
日帰り・宿泊問わず定山渓を訪ねた際は、ぜひ参拝してみてください。