東区本町の苗穂神社 ― 住所から「苗穂」が消えた理由と開拓の歴史

札幌市東区本町に鎮座する苗穂神社は、明治時代に創建された、少彦名神をお祀りする神社です。
ところで、札幌には「苗穂町」という地名が今も存在するにもかかわらず、なぜ苗穂神社の住所は「苗穂」ではなく「本町」なのでしょうか。
その理由を紐解くと、かつての「庚午一ノ村」から始まるこの地の開拓と発展の歴史が見えてきます。
今回は、地域とともに歩んできた苗穂神社の歴史と境内の見どころを、写真とともにご紹介します。
苗穂神社のご由緒
「ナイ・ポ」と庚午一ノ村―苗穂の地名由来と開拓のはじまり

「苗穂」という印象的な地名は、アイヌ語で「小さな川」や「子の川」を意味する「ナイ・ポ」に由来するとされています。
かつてこの一帯は、豊平川の旧流路や「メム」と呼ばれる湧水が点在する低湿地帯で、この名はその頃の面影を今に伝えています。
苗穂の開拓が始まったのは、明治3(1870)年のことです。
庚午(かのえうま)にあたるこの年、酒田県(現在の山形県)などから120名余りが移住し、この集落は干支にちなんで「庚午一ノ村(こうごいちのむら)」と名付けられました。
翌年5月には、開拓判官の岩村通俊によって「苗穂村」へと改称。
豆類や麦といった雑穀の栽培から始まった開墾は、やがて大根や玉ねぎなどの蔬菜を手がける農村としての発展へとつながっていきました。
苗穂村の発展と神社の創建

苗穂神社は、公認神社となった明治30(1897)年8月に創建されました。
札幌市内の神社には、開拓初期に建てられた小祠を前身とする例が多くみられますが、苗穂神社にはそうした伝承が残されていないようです。
推測の域を出ませんが、近隣の札幌村神社も同様に創建から神社公認までが短期間であることから、幕末に大友亀太郎が建立した本龍寺(妙見堂)が、この一帯の鎮守の役割を果たしていたのかもしれません。

一方、水資源に恵まれた苗穂には、開拓使の時代から麦酒醸造所をはじめとする官営施設が相次いで設けられました。
これらの官営事業はのちに民間へ払い下げられ、札幌都心部に近い好立地も手伝って、工場や住宅が集まる地域へと成長していきます。
さらに、明治42(1909)年の鉄道院札幌工場(現在のJR北海道苗穂工場)の設立と、翌年の苗穂駅開業が追い風となり、かつての農村は工業・住宅の街へと姿を変えていきました。
昭和の社殿造営と、住所が「本町」になった理由

時代が昭和へと移り、昭和12(1937)年には、前年の昭和天皇の北海道行幸を記念して社殿が造営されました。
さらに昭和52(1977)年には創建80年を記念して社殿が新築され、平成8(1996)年には鎮座百年記念大祭が執り行われています。
ここで冒頭の疑問、「なぜ苗穂神社でありながら住所は『本町』なのか」に立ち返ってみましょう。
実は神社の鎮座する本町一帯は、もともと「苗穂村」と呼ばれる広大な地域の一部(旧上苗穂)でした。
その後、戦前に苗穂村の西側が先行して札幌市へ組み込まれ(現在の東区苗穂町周辺)、神社のあるこの地域も昭和30(1955)年に札幌市へと編入されます。
さらに昭和42(1967)年の土地区画整理に伴い、神社周辺には「本町」という新たな町名がつけられました。
こうして「苗穂」の地名自体は近隣に残っているものの、神社の所在地(住所)からは「苗穂」の名が外れることとなったのです。
所在地は「本町」へと変わりましたが、神社は今も「苗穂神社」の名で地域の人々に親しまれ、街を見守り続けています。
苗穂神社のご祭神

苗穂神社では、創建にあたり札幌神社からご分霊を受けた「少彦名神(すくなひこなのかみ)」をお祀りしています。
少彦名神
大那牟遅神(おおなむぢのかみ、大国主神)の国造りに協力したとされる神です。
国土経営や開拓の守護神として信仰されるほか、医薬や酒造りのご利益があるとされています。
苗穂神社の境内
社殿

現在の社殿は、創建80年を記念して昭和52(1977)年に建てられた三代目にあたります。これ以前にも、明治31(1898)年と昭和12(1937)年に社殿が建立されています。

社殿へ続く石段の前にも、賽銭箱が設けられています。
足腰の弱い方や車いすの方など、階段の上り下りが難しい参拝者も無理なくお参りできるようにという、細やかな心遣いが感じられます。
狛犬


参道で参拝者を出迎える狛犬は、昭和23(1948)年の奉納。
他の神社のものに比べて台座が低く作られているため、その表情や細かな彫刻を近くから観察できるのが魅力です。

社殿前の石灯籠も、狛犬と同じ年に奉納されたものです。
戦後の混乱が残る時期としては少し珍しく感じられますが、ちょうど創建50年という節目の年であったことを考えると、納得がいく気もします。
手水舎


色鮮やかな花飾りが目を引く手水舎です。
蛇口があるので人感センサーで水が出るのかと思いきや、フクロウの置物がバルブの役割を果たしていました。
石碑群
岩田徳治翁顕彰碑

昭和57年(1982)10月に建立された黒御影石の碑で、地域の発展に尽力した岩田徳治の功績を称えています。
丘珠に生まれ本町で育った岩田は、岩田組(のちの岩田建設)を興し、北海道初の鉄筋コンクリート橋とされる一条橋を手掛けるなど「橋の岩田」と称されました。
道議会議員を4期務めたほか、札幌村郷土記念館の建設時には多額の資金を寄贈するなど大きく寄与しています。
戦勝紀念碑

境内の片隅にひっそりと佇むこの石碑は上部が欠落しているものの、表面に「戦勝紀念碑」、裏面には「明治三十七八年〇(一字不明)」と刻まれています。
裏側の判読しにくい最後の1文字はおそらく「役」であり、日露戦争の異称である「明治三十七八年戦役」を指していると考えられます。
「本町」に残る苗穂の記憶を訪ねて

今回は、札幌市東区本町に鎮座する「苗穂神社」をご紹介しました。
「庚午一ノ村」に始まる村の氏神として生まれた苗穂神社は、札幌市内でもいち早く都市化が進んだ苗穂の歩みを見守ってきました。
鎮座地の住所から「苗穂」の2文字は消えましたが、境内には地域の歴史が息づいています。
先人たちの思いに触れに、ぜひ苗穂神社へ足を運んでみてはいかがでしょうか。




