手稲神社で歴史と祈りに触れる

札幌市手稲区の中心部、JR手稲駅からほど近い一角に静かにたたずむ手稲神社。
鳥居をくぐり社殿に向けて石段を登るごとに、街の喧騒が遠のき、境内の清々しさが増していきます。
手稲神社は、明治初期にこの地へ入植した人々の祈りから生まれた神社です。
厳しい自然環境の中で開拓に挑んだ先人たちの思いと、150年を超える地域の歴史が、境内のあちこちに刻まれています。
この記事では、手稲神社の歴史やご祭神、境内の見どころをご紹介します。
手稲神社のご由緒
手稲という土地の歴史

「手稲」という地名は、アイヌ語の「テイネ・イ(濡れている土地・湿地)」に由来するといわれています。
その名のとおり、かつての手稲北部一帯(JR線より北側)は、手稲山から流れる大小の河川が作る泥炭湿地が広がる不毛の地でした。
しかし、明治時代になり北海道の開拓が本格化すると、一帯は小樽から札幌への物資輸送を支える交通の要衝となります。
明治4(1871)年にサンタロベツ通行屋(現在の富丘)、明治14(1881)年に軽川駅(現在のJR手稲駅)が置かれるなど物資の集散地となったことで、自然発生的に集落が形成されました。
明治中ごろには山口や星置へ本州からの入植者が増えて農地開墾が進み、前田などの泥炭地帯には牧場が広がるなど、次第に農村としての姿を持つようになりました。
神社の創建:はじめは札幌神社の遥拝所

開拓当初、入植者は札幌神社(現在の北海道神宮)を参拝し、心のよりどころとしていました。
しかし冬季や農繁期の参拝は困難であることから、明治7(1874)年、札幌神社の遥拝所を設置。翌年には4坪ほどの小祠も建立されます。
この遥拝所が手稲神社の始まりです。
その後、明治32年(1899年)には北海道庁より正式に神社創立の許可を受け、遥拝所は「手稲神社」を称するようになりました。
大正時代から現在:手稲の総鎮守へ

大正1(1912)年には、稲穂神社を合祀。
その後、大正6(1917)年には村社へ、昭和16(1941)年には郷社へ昇格し、手稲神社は地域の総鎮守として揺るぎない地位を築きました。
戦後の昭和22(1947)年には、林業従事者らの信仰に応え、手稲山の山頂に奥宮を建立。
昭和47(1972)年には石狩湾新港建設のため移転を余儀なくされた小樽内川稲荷神社、昭和48(1973)年には後継者不足に悩んでいた新川神社を相次いで合祀し、地域の信仰を一手に引き受ける存在となりました。
また、昭和48(1973)年には現在の社殿が新たに造営されています。
平成以降も、藤白龍神社の再興の他、御鎮座百年や百十年の節目に社務所・演舞場の新築や社殿の大規模改修が行われ、現在も地域の総鎮守として氏子・崇敬者の篤い信仰を集めています。
手稲神社のご祭神

手稲神社には、創祀以来の「開拓三神」に加え、合祀によって加わった7柱の神々がお祀りされています。
開拓三神
大国魂神(おおくにたまのかみ)
北海道の国土を神格化した神。地域の安寧と大地の実りをもたらす守護神として信仰されています。
大那牟遅神(おおなむちのかみ)
別名を大国主神ともいい、国造りや農業発展のほか、医薬や縁結びのご利益があるとされています。
少彦名神(すくなひこなのかみ)
大那牟遅神の国造りに協力した神。医薬のほか、国造りや農業発展のご利益があるとされています。
稲穂神社より合祀
天照坐皇大神(あまてらしますすめおおみかみ)
日本の総氏神として、あらゆる願いに広大なご利益があるとされる太陽神です。
豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)
伊勢神宮外宮に祀られる食物・衣食住・産業の守護神。五穀豊穣や商売繁盛のご利益があります。
小樽内川稲荷神社より合祀
倉稲魂神(うがのみたまのかみ)
「お稲荷さま」として親しまれる穀物・商売繁盛の神。産業の発展と生活を豊かにするご利益を授けます。
新川神社より合祀
天満大神(てんまんおおかみ)
「天神さま」として知られる学問の神。学業成就・合格祈願のご利益で有名です。
なお、新川神社にはかつて聖徳太子も祀られていましたが、こちらは合祀の際、前田地区の寺院へ移されています。
手稲神社の境内
社殿

第一鳥居から石段を登った先に姿を見せる社殿は、昭和48(1973)年に建立されました。
端正な佇まいの中に、150年を超える信仰の歴史が息づいています。
石碑
境内にはいくつかの石碑が建立されており、それぞれが手稲の歴史を語りかけてきます。
忠魂碑

大正7(1918)年建立。
西南の役から第二次世界大戦に至る手稲村出身の戦没者を祀っています。
以前は境内の別の場所に置かれていましたが、令和元年に改修の上、現在地へ移されたようです。
牛馬塔

開拓や農業などに従事した牛馬の霊を慰めるため、昭和8(1933)年に建立されました。
元は前田地区にありましたが、昭和48(1973)年の新川神社合祀に伴い現在地へ移設されたものです。
牛馬が農作業や物資の運搬に欠かせず、家族のような存在であった時代を思い起こさせる石碑です。
出羽三山碑

出羽三山へ開拓の成功を祈願し渡道した移住者の子孫の方により、昭和51(1976)年に建立されました。
先人の開拓精神を現在に語り継ごうとする思いが感じられます。
境内社・末社
藤白龍神社

境内の藤棚の近くに祀られているのが藤白龍神社です。
終戦まもない頃、境内の栗の古木の空洞に棲む白蛇が子供に石を投げつけられて絶命、その亡骸を埋葬した場所に小祠を建てたという逸話が起源です。
小祠は老朽化のため昭和48(1973)に撤去されましたが、その後、平成8(1996)年に現在の社殿が再興されました。
龍神社

手水舎の横に「龍神社(水の神様)」と刻まれた小祠が建てられています。
ご由緒は不明ですが、近年に建てられた(もしくは移された)ものと思われます。
手稲神社奥宮

境内には手稲山山頂に位置する奥宮の遥拝所があります。
昭和22(1947)年に建立された奥宮は、手稲神社のご祭神のご分霊のほか、地区内で祀られていた弥彦神社・三峯神社・九徳稲荷・伏見稲荷の御分霊も合わせて祀られています。
現在の手稲山はテレビ塔が林立していることもあり、奥宮の整備は放送局からの寄進によるところが多く、電波安全祈願祭も行われています。
合祀社から受け継がれた奉納品

境内には3対の狛犬をはじめとして、数多くの奉納品が点在していますが、これらの中には合祀された神社から移設されたものが多く含まれています。
特に、裏参道側には、新川神社や小樽内川稲荷、奥宮に合祀の弥彦神社から移設された奉納品が数多く残されており、地域の歴史を物語っています。

表参道には、社殿造営記念や鎮座百年記念に奉納された鳥居・由緒書や灯篭・狛犬など、戦後の奉納品が多く並びます。
(写真は鎮座百年記念の狛犬と、戦前奉納の石灯籠)

こんなところにもいる!玉垣の上にちょこんと立つ、手稲区マスコットキャラクター「ていぬ」。
台座には令和6年とあり、ごく最近、鎮座百年記念の玉垣の上に設置されたもののようです。
手稲神社を訪れて

境内をひととおり歩くと、手稲という土地が歩んできた歴史の重みを感じます。
札幌神社の遥拝所から始まり、村社・郷社への昇格、そして複数の神社を合祀しながら地域の総鎮守へと成長した手稲神社。
その姿は、現在の手稲区の歴史そのものといえるでしょう。
境内に点在する石碑や移設された奉納品の一つひとつにも目を向けながら、先人たちの歩みに思いを馳せてみてください。
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