旧豊平町の鎮守社 月寒神社
札幌市の南東に位置する月寒地区。
地下鉄の月寒中央駅があり、国道36号線が走るこの地区は、明治4(1871)年に岩手県出身者44戸185人が入植して開拓が始まりました。
その後、旧豊平町の行政の中心として、また旧陸軍歩兵第25連隊の駐屯地として発展した月寒地区を見守ってきたのが、月寒神社です。
この記事では、実際に参拝した時の様子を織り交ぜつつ、月寒神社の歴史や魅力をご紹介します。
月寒神社のご由緒
「旧月寒神社」が存在した?
月寒神社の歴史は明治時代にまで遡ります。
大正7(1918)年に現在地に移転するまでの沿革を、鳥居横に設置の由緒書きや公式ホームページ、『札幌の寺社』などを参考に辿ってみると、以下のようになります。
明治17(1884)年 | 広島県出身の入植者が、故郷の厳島神社のご分霊を、現在の福住地区にお祀りする |
明治33(1900)年 | 西山神社の名称で公認神社となる(無格社) |
明治36(1903)年 | 社名を月寒神社に改称 |
明治37(1904)年 | 社殿改築および移転の許可を得る |
明治44(1911)年 | 月寒に移転(現在地から数百メートル南東) |
大正7(1918)年 | 現在地に移転 |
しかし、『つきさっぷ歴史散歩』や『月寒公園とその周辺 公園・記念碑類・神社・小学校』には、西山神社が月寒神社へと名を変える以前から、月寒地区には「旧月寒神社」とでも言うべき神社が存在していた、という興味深い記述があります。
この旧月寒神社と西山神社の合祀により誕生したのが、現在の月寒神社だというのです。
そこで今回は、これらの資料に基づき、月寒神社の沿革をご紹介します。
西山神社の創祀
明治17(1884)年、広島県出身者が現在の福住地区に入植し、故郷の厳島神社のご祭神である市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)と、五穀豊穣の神である倉稲魂命(うがのみたまのみこと)をお祀りしたのが、西山神社の始まりとされています。
当初は現在の福住1条4丁目に鎮座していましたが、明治33(1900)年には公認神社の創立許可が下り、新しい境内地(現在の福住1条1丁目)への移転と新築が行われます。
ところが、この新しい境内地は土地寄付者の事情により神社地として登記できず、西山神社は登記不能という問題を抱えることになってしまったのです。
旧月寒神社の創祀
明治4(1871)年に開拓が始まった月寒地区。
西山神社が移転するより前の月寒に、神社は存在しなかったと考えられてきました。
しかし、近年になって、神社の存在を示唆するいくつかの記録が発見されています。
- 明治15(1883)年、住民8名が神社用地として土地を寄付し、台帳登記を行っている
- 明治20(1887)年、函館新聞の記事「札幌郡月寒村の実況」に、「月寒神社あれども祭は至て闃(さび)しくして」との一文がある
- 明治34(1901)年に月寒小学校に赴任した教師が、学校の校庭が神社の道路に接していたこと、入口に鳥居が立っていたこと、境内は窮屈で社殿は粗造だったこと、周囲には大木や雑草が生い茂っていたことを書き残している
これらの記録から、月寒には西山神社の移転以前から神社が存在していた可能性が高いと考えられています。
なお、当時は伐木作業が多かったことから、この神社のご祭神は、山林の神である大山祇命(おおやまつみのみこと)だったと推測されています。
西山神社の改称・移転と旧月寒神社との合祀
公認神社となったものの境内地の未登記問題を抱える西山神社と、境内地が狭く社殿が粗末だった旧月寒神社。
双方の課題を解決するため、明治36(1903)年、月寒と福住地区の住民は、西山神社の月寒神社への改称と月寒への移転を希望するとの届出を行いました。
この際、旧月寒神社のご祭神である大山祇命と、軍神である宇摩志麻遅命(うましまぢのみこと)の合祀も願い出ています。
宇摩志麻遅命の合祀を希望した背景には、明治29(1896)年に月寒に置かれた陸軍第7師団独立歩兵大隊(後の歩兵第25連隊)の意向があったと見られています。
武運長久を祈願するのにふさわしい神社を求めた陸軍の仲介もあり、西山神社の移転と旧月寒神社の合祀はスムーズに進められたようです。
こうして、西山神社は明治36(1903)年に月寒神社へ改称し、明治44(1911)年には月寒へ移転しました。
現在地への移転と村社昇格
明治43(1910)年、豊平町役場が月寒地区に移転します。
歩兵連隊が置かれた軍のお膝元であると同時に、行政の中心地ともなった月寒地区。
その発展に歩調を合わせるように、大正7(1918)年、月寒神社は村社に昇格。
また、同年には、月寒公園に隣接する現在地への移転が許可されました。
この移転の際には、歩兵第25連隊の兵士たちが社殿を肩に担いで運んだというエピソードが伝わっています。
戦後、陸軍が去り、宅地化が進んだ月寒地区ですが、月寒神社は、社殿の造営や社務所の建て替えなど、時代に合わせて整備が進められてきました。
月寒神社は、現在も地域の鎮守社として、多くの人々の信仰を集めています。
月寒神社のご祭神
月寒神社には、4柱の神様がお祀りされています。
市杵島姫命
広島県の厳島神社からご分霊を受けてお祀りされた水の女神です。
交通安全などのご利益があるとされています。
倉稲魂命
穀物の神様で、「お稲荷様」として広く信仰されています。
五穀豊穣や商売繁盛のご利益があるとされています。
大山祇命
その名の通り、山を司る神様です。
開拓当時は伐木作業が多く、その安全を祈って大山祇命をお祀りするようになったと考えられます。
宇摩志麻遅命
軍事に優れたとされる豪族・物部氏の祖とされる神様です。
勝運や武運長久、家内安全などのご利益があるとされています。
月寒神社の境内
社殿
昭和46(1971)年に建てられた、神明造の社殿です。
狛犬
凛々しく社殿を守る、月寒神社の狛犬です。
平成17(2005)年奉納と比較的新しいもので、顔立ちも整っているように感じられます。
石灯籠
境内の規模と比較して灯篭が多い月寒神社。
参道沿いには明治時代から昭和の戦後期まで、様々な時代に奉納された灯篭が並んでいます。
御即位記念碑
本堂からみて右側の参道脇に立つ小さな石碑で、表面に「御即位記念」「□□四郎 謹書」と刻まれています。
詳細は不明ですが、相応の年月が経っているもののようなので、大正天皇もしくは昭和天皇の即位を記念して建てられたものでしょうか。
郷土の歴史が息づく月寒神社
月寒神社は、月寒地区の鎮守社として古くから地域の人々に親しまれてきました。
武運長久の神が祀られていることからも分かるように、そのご由緒には、旧陸軍歩兵連隊のお膝元として発展した月寒の歴史が反映されています。
また、隣接する月寒神社には地区の歴史を今に伝える石碑が数多く立ち並んでいます。
月寒神社とその周辺は、郷土の歴史を身近に感じることができる、貴重な場所です。
ぜひ一度、足を運んでみてはいかがでしょうか?
アクセス
アクセス;札幌市営地下鉄東豊線「月寒中央」駅より徒歩12分
社務受付時間;9:00 ~ 17:00(4~9月)、9:00 ~ 16:00(10~3月)
公式HP;月寒神社公式サイト
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参考文献
「さっぽろ文庫39 札幌の寺社」(札幌市教育委員会 編/1986年)
「つきさっぷ歴史散歩」(月寒史料発掘会 編/2005年)
「月寒公園とその周辺 公園・記念碑類・神社・小学校」(神埜努 著/2007年)
「豊平区の歴史 増補改訂版」(札幌市豊平区 編/2024年)