今回は市街地群の残り半分と漁村群の紹介

野外博物館北海道開拓の村は札幌市厚別区にある東京ドーム11.5個分にも匹敵する広大な野外博物館だ。北海道開拓の歴史をテーマに、明治〜昭和初期のにかけて道内各地に存在していた52棟の歴史的建造物を移築復元あるいは再現した見応え満点のテーマパークである。
どの展示も非常に興味深く、ブログ1記事で完結するのは勿体ないので、当サイトとしては珍しく3部構成でお届けしており、前回は市街地群の北側と東側をご紹介した。中盤編となる今回は市街地群の西側と南側、そして漁村群を案内したい。
市街地群_西側ブロック
18.旧来正旅館


旭川の東永山兵村に屯田兵として入植した来正策馬が、退役後に開業した鉄道の待合所がはじまり。大正7年に旅館兼待合所としてリニューアルオープンし、道北方面の旅行者や上川農業試験場の役人たちが利用した。
19.旧三〼河本そば屋

旧三〼河本そば屋は大正時代に小樽市で営業していた蕎麦屋さん。石川県から小樽に移住した河本徳松氏が三〼そば屋で修行し、そのままのれんを継いで三〼河本そば屋となった。上の画像は調理場で、椀やせいろ、徳利などの食器類は現在の蕎麦屋さんとあまり変わらない。


20.旧武井商店酒造部

現在の岩内郡茅沼村で石炭荷役と回船業を営んでいた武井家が明治19年に建築した建物。酒造業は9年後の明治28年からスタートし、昭和19年の戦時統制まで続けられた(現在は廃業)。画像は酒蔵で、母屋と土蔵の3棟で構成されている。


21.旧近藤医院

旧近藤医院は明治33年に古平町で開設した個人病院である。今回はスペースの都合で紹介しきれなかったが、この建物の奥側には石造り2階建ての文庫倉がつながっていて、当時の貴重な医学書を大量に収蔵・展示している。


22.旧近藤染舗


旧近藤染舖は明治31年に旭川で創業した老舗の染物店である。創業者の近藤仙蔵氏は徳島県からの移住者であり、故郷の特産品である藍を使った半纏や幟などの染め物を得意とした。ちなみに現在は株式会社近藤染工場として、旭川市で営業を続けている。
馬車鉄道の車窓から開拓の空気を感じる

市街地群では馬車鉄道が運行されている。運行期間は4月中旬から11月まで、運賃は3歳以上250円となっている。現在、札幌市民の日常生活の足となっている路面電車のルーツは、明治42年の札幌石材馬車鉄道合資会社が運行していた馬車鉄道だった。いやぁとても良い雰囲気…。
市街地群_南側ブロック
23.旧武岡商店

武岡家は旧徳島藩出身で、明治4年に静内郡に移住し、米穀、雑貨、荒物などを中心に取り扱った商家だ。この建物は明治40年頃のもので、店舗と住居を兼ねた作りとなっている。基本的に和風建築だが、窓枠には洋風のデザインを取り入れるなど、当時の流行りがうかがえる。


24.旧大石三省堂支店

札幌で修業した菓子職人大石泰三氏が現在の帯広市の電信通に開業した菓子の製造販売のお店。建物正面には菓子売場、奥側に菓子の製造工場がある。筆者はかつて帯広で暮らしたことがあり、電信通に似たような建物を再利用したカレー屋さんがあったのを思い出した。


25.旧太田装蹄所


旧太田装蹄所は大正13年から昭和20年まで、江別方面へ向かう途中の国道12号線沿いで営業していた。開拓時代は物資運搬や農耕の主役は馬であり、装蹄所は当時の経済活動を支える重要な産業だった。
26.旧藤原車橇製作所

旧藤原車橇製作所は、明治31年に兵庫県から雨竜郡に入植した藤原信吉氏が開業した馬橇の製作所である。建物は木造切妻平入構造で、作業所と住居から構成されている。ちなみに橇先端の台木を湾曲させる作業を柴巻というらしい・・・(画像左下)。


27.旧本庄鉄工場


大正14年から昭和50年まで現在の石狩市親船で営業していた旧本庄鉄工所は、漁具や漁船の部品や農具などを製造していた。作業場では鍛冶職人達が奥の火床で材料を熱し、金敷の上で鍛造作業を行っていた。
28.旧広瀬写真館


旧広瀬写真館は大正末期から昭和33年まで岩見沢市にあった写真館。洋風の外観と和風の室内が上品に調和した和洋折衷様式で、2階の屋根をガラス張りにし、自然光を導入した柔らかい照明の撮影室が印象的。
29.旧札幌拓殖倉庫

旧札幌拓殖倉庫は、明治45年創立の札幌拓殖倉庫株式会社の所有で、現在の札幌駅北側に隣接し農産物の保管に使用されていた。木骨に直方体の札幌軟石を積み重ねて建築されたこの倉庫は、耐火性、耐久性、耐寒性に優れていた…ということで市街地群はおしまい。


漁村群
32.旧土谷家はねだし


ここから漁村群。漁村群のトップバッターは旧土谷家はねだし。はねだしとは鰊漁家の倉で、建物の一部が海側にせり出していることで、床の開口部を通して荷物の出し入れを行えるようになっている。
33.旧青山家漁家住宅

漁村群の一番の目玉はなんといっても大きな旧青山家漁家住宅。画像右端の相方と比べるとその広大さがよくわかると思う。青山家は現在の小樽市祝津で鰊漁を主業としていた一族で、北海道に入植したのはなんと安政6年(1859年)という古さ。

かつての青山家は10数棟の建物を所有していたが、開拓の村にはそれらのうち7棟が移築された。上の画像は母屋の内部。吹き抜け2階建てのこの部屋はおよそ60名の漁夫が寝泊まりした場所で、撮影している筆者の背後に親方一族の豪華な居住スペースがある。


34.廊下


廊下とは陸揚げした鰊を一時保管する施設。漁期が終わると船や櫓などの漁労具を収納する倉庫として利用された。外観から想像するより内部は広く、大きな2艘の鰊漁船が展示されていた。
35.旧秋山家漁家住宅

旧秋山家漁家住宅は、明治末期に秋田県男鹿半島から現在の羽幌町に移住した秋山嘉七氏の住まいだった。秋山家も前述の青山家同様に鰊漁を生業としていた一家。漁業の規模はこじんまりしているが、当時としては比較的裕福な暮らしぶりだったようだ。


次回予告(農村群→山村群→市街地群)

広大な施設ゆえに三部作となった北海道開拓の村ブログの第二部はここで終わり。相方と二人で漁村群を後にする。日本海を模した大きな池には鯉などの魚が悠々と回遊していて雰囲気たっぷり。もっとも日本海というより瀬戸内海の穏やかさだが、これはこれで良い。
さて次回は最終回となる第三部。農村群と山村群そして市街地群でまだ紹介できていない2施設をご紹介したい。ちなみにこの時点ですでに正午を回っており、太陽はちょうど我々の頭上にある。酷暑の時期に訪問しなくて良かったなぁ…などと相方と語りつつ先を急ぐ。
北海道開拓の村へのゆきかた

北海道開拓の村の敷地は、公式サイトのマップで見るよりも実際にはかなり広く、すべてを丁寧に見学するには半日以上かかることを覚悟しておくべきだ。内覧可能な施設も多いが、原則として土足厳禁なので、歩きやすく着脱しやすい靴を選んでから訪問したいもの。




