北海道開拓時代にタイムスリップ!

野外博物館北海道開拓の村は1983年に、札幌市厚別区の野幌にオープンした野外博物館だ。その敷地は54.2ヘクタールで東京ドーム11.5個分に匹敵する広大さ。そんな北海道開拓の村には、明治〜昭和初期にかけて道内各地に存在した52棟の建造物が復元・再現されている。
北海道開拓の村は「市街地群」「漁村群」「農村群」「山村群」の4エリアに分かれている。そこで本ブログではこれらを時計回りの順で3部構成に仕立て直し、北海道開拓の村の魅力を余すところお伝えしたいと思う。ということで早速、第一部のスタート。さぁ歩くぞ〜!
エントランス・入口広場
1.旧札幌停車場

まずは北海道開拓の村のエントランスから。これは明治41年〜昭和27年頃の札幌停車場(現在のJR札幌駅)の復元。展示以外に開拓の村の管理棟を兼ねていることから、実物より一回り小さいサイズでの再現となったようだが、開拓時代における交通の一大拠点たる迫力は満点。


2.旧開拓使札幌本庁舎

明治6年に建築された開拓使札幌本庁舎(行政機能的には現在の札幌市役所に相当)の再現。明治新政府が北海道開拓の拠点を札幌に定め、北海道開拓のシンボルとしてお披露目されるも、わずか6年後に火災で消失してしまう。
一見すると外観のデザインが北海道庁旧本庁舎(赤レンガ道庁)とよく似ているが、あちらは重厚なレンガ造りで旧札幌本庁舎よりはるかに大きい。


市街地群_北側ブロック
3.旧手宮駅長官舎


駅長の官舎としてはかなり小さく質素な造り。1880年に北海道の鉄道として敷設された幌内鉄道の職員官舎だった。もとは札幌市の隣にある小樽市手宮町に現存していた建物を開拓の村に移築した。
4.旧開拓使爾志通洋造家

旧開拓使爾志通洋造家とは明治初期に建築された開拓使職員の官舎。建物の外観はアメリカ中西部の建築様式を踏襲しつつ、室内は襖で間仕切られた和室となっている。現在は文献や模型の展示室となっており、画像右側には中島公園の豊平館のミニチュアも見える。


5.旧福士家住宅

明治8年から大正11年にかけて札幌で暮らしていた福士成豊氏の私邸。仕事は欧米スタイル、私生活は和風スタイルを器用に使い分けたといわれる福士成豊氏は、造船、通訳、気象観測、測量など多方面において日本の近代化に尽力したマルチな才人だった。


6.旧松橋家住宅

旧松橋家住宅の建築様式は、明治〜昭和にいたる札幌圏の都市生活者の一般的な住宅だった。松橋家は明治初期に秋田県から札幌に移住し、農業や不動産会社の経営に勤しんだ一族。当主の松橋吉之助氏は、会社経営の傍ら哲学の研究に没頭した。知的な調度品に納得…。


7.旧有島家住宅

有島武郎氏は言わずと知れた日本近代文学を代表する小説家。氏は札幌農学校(現北海道大学)で学んだ後に札幌に居を構えて本格的な作家活動に入るが、妻の死や創作意欲に陰りが見えたことを苦にして、45歳の若さで長野県軽井沢の別荘にて自らその生涯を閉じてしまう…。


8.旧浦河支庁庁舎

旧浦河支庁庁舎は、明治30年に北海道庁が郡区役所制度を廃止し、支庁制度を設けた際に設置され、昭和7年に日高支庁となる。昭和31年に浦河町に払い下げられた後は、町内会館や博物館として利用されていた。館内には迎賓馬車も展示されている。


9.旧小樽新聞社


小樽新聞社は明治27年に創刊し、函館毎日新聞や北海タイムスと並んで道内を代表するローカル紙として知られた。建物は木柱と札幌軟石を組み合わせた3階建て。1Fには当時使用されていた活版印刷機が展示されている。
10.旧開拓使工業局庁舎

市街地群北側ブロックの最後は旧開拓使工業庁舎。この施設は明治4年に札幌本府を建設するための建材供給を目的として設置された。きっと上の画像のような馬車やソリなども製作していたに違いない。ちなみにこの建物は平成25年に国の重要文化財に指定されている。


市街地群_東側ブロック
11.旧北海中学校※改修工事中

旧北海中学校は現在、豊平区旭町にある北海高等学校の前身で、明治18年に開校した道内最古の教育機関である。現在は全面改修工事の真っ最中で、2026年1月下旬に完了する予定。写真は改修工事前のエメラルドグリーンの校舎。改修後は創建時の白色に生まれ変わる。
12.旧龍雲寺


篠路山雲龍寺は明治19年に創建された浄土宗の寺院。北区篠路町に建っていたものを開拓の村に移築し復元したもの。北海道の開拓時代は、移住者が入植するとまず寺社が建立され、地域社会の精神的支柱となった。
13.旧札幌警察署(南一条巡査派出所)

南一条巡査派出所はかつて創成橋付近にあった交番。昭和47年のさっぽろ冬季オリンピック開催にともなう創成川通の拡張工事まで、「赤レンガ交番」の愛称とともに親しまれ、道行く市民の安全を見守っていた(背後にあるシートに覆われた建物は改修中の旧北海中学校)。
14.旧島歌郵便局


北海道で近代郵便がスタートしたのは明治5年のことだったが、それから遅れること14年後の明治19年に道南の瀬棚町島歌地区に開設したのがこの郵便局。三等級の地方の小さな郵便局ながら、当時は以下8名の職員が集荷や配達業務に従事していた。
15.旧山本理髪店


傾斜の急な切妻屋根と玄関の雨よけアーチが特徴的な洒落た建物は、大正末期頃に裏参道エリアで営業していた旧山本理髪店。当時はガスが普及しておらずタオルのスチームは炭だったそうな。男性諸氏にはおなじみの回転式チェアが登場するのはこの時代から。
16.旧渡辺商店


大正時代に道北の中頓別町で営業していた旧渡辺商店。耐火や耐寒のため漆喰仕上げの土蔵造りとした内部は1階が店舗、2階が上得意客との商談に用いたと思しき座敷となっている。開拓の村には移設されなかったが店主の住まいと倉庫は別棟だった。
17.旧浦河公会会堂

開拓の村第一部のラストは明治27年に浦河町にあった旧浦河公会会堂。神戸のキリスト教徒を中心に設立された北海道開拓会社赤心社が浦河地方に入植した際に、礼拝などを行うために建設した。温かなウッドと柔らかいランプの明かりがやさしい雰囲気を醸し出す。


次回予告(市街地群の西→南・漁村群)

第一部は開拓の村の入口周辺と市街地群のうち北側と東側ブロックの特集だったがいかがだったろうか?読者の皆さんには、我々と一緒に開拓の村を散策しながら、北海道開拓の歩みを辿っているような臨場感を味わってもらえたら、札幌のブロガーとして望外の喜びである。
さて第二部では市街地群の西側ブロックと南側ブロック、そして漁村群の各種展示物をご紹介したい。ちなみに午前10時頃に相方と二人で施設巡りを開始し、第一部が終了した時点ですでに2時間ほど経過している(入館可能な施設はすべて内部に入って撮影しているため)。
北海道開拓の村へのゆきかた

北海道開拓の村の敷地は、公式サイトのマップで見るよりも実際にはかなり広く、すべてを丁寧に見学するには半日以上かかることを覚悟しておくべきだ。内覧可能な施設も多いが、原則として土足厳禁なので、歩きやすく着脱しやすい靴を選んでから訪問したいもの。



