歴史と文化・芸術の公園

札幌市中央区にある中島公園は市内中心部にほど近い、緑と水の豊かな公園です。コンサートホールや文学館、重要文化財に指定された歴史的建造物などがある他、桜や紅葉の名所でもあります。
繁華街の「すすきの」から徒歩圏内で地下鉄駅に直結している立地もあり、札幌市民だけではなく観光客も多く訪れます。
中島公園のみどころと施設
約23ヘクタール(東京ドーム約5個分)の広さがある中島公園には、様々なみどころや施設が点在しています。以下では、その一部をご紹介します。
なお、みどころ・施設とも、おおむね公園の北(地下鉄中島公園駅側)から南(地下鉄幌平橋駅側)の順に掲載しています。
中島公園のみどころ
日本庭園

昭和38(1963)年開園の日本庭園。全道各地から集められた約40種の草木が植えられており、庭石も道内の河川や海岸から運ばれたものです。石灯籠は国内の名灯籠を模して造られています。
園内には重要文化財に指定されている茶室「八窓庵(はっそうあん)」もあります(冬期は閉鎖されており見学することはできません)。

豊平館(ほうへいかん)

明治13(1880)年に洋風ホテルとして建てられた歴史的建築物で、重要文化財に指定されています。
内部の見学ができるほか、一部の部屋はレンタルルームとして様々な用途で利用が可能です。また、カフェも併設されています(利用には入館料が必要)。
菖蒲池(しょうぶいけ)

公園の北半分に位置する池。明治4(1871)年に豊平川の分流を利用して作られた貯木場が菖蒲池の前身です。
かつては2つの四角い池が並んだ形だったそうですが、数度の整備を経て現在の形となっています。周囲を緑に囲まれた風光明媚な池で、春から秋にかけてボートに乗ることもできます。

彫刻群

中島公園の園内には10点ほどの彫刻が点在しています。これらの作品を鑑賞しながら散策するのも良いですね。
鴨々川

公園の西側を流れる川は豊平川の分流で「鴨々川」と呼ばれています。園内南端は水遊び場として整備されており、夏場は親子連れの方でにぎわうスポットです。
ちなみに「鴨々川」の名称は、京都の「鴨川」に由来するともカモが多くいたからとも言われますが、定かではありません。
中島公園の施設
札幌市こども人形劇場 こぐま座

昭和51(1976)年に開館した、全国初の公立人形劇場です。当時の札幌市長だった板垣武四郎氏が姉妹都市のドイツ・ミュンヘン市を訪問した際にマリオネットシアターを見学し、札幌の子どもたちに人形劇場をプレゼントしたいと思い立って建設に至ったそうです。
人形劇は舞台芸術の世界では演劇に比べて地味な存在ですが、子供向けのセグメントにおいては主流であり、またアマチュアの層が厚く、市民文化活動として広く行われてきたという経緯があります。現在でも土日を中心に様々な団体・個人による人形劇が上演されています。
ちなみに、こぐま座の隣にある「中島児童会館」も全国初の公立児童会館です(昭和24(1949)年開館)。
こぐま座の設計者はこの巨匠
こども劇場にふさわしい可愛らしいデザインのこぐま座ですが、この建物を設計したのは田上義也という北海道を代表する著名な建築家です。
田上氏の作品はこぐま座以外にも、藻岩山のふもとにある旧小熊邸、宮の森の本郷新記念札幌彫刻美術館、真駒内公園の豊平川さけ科学館、旭川常磐公園の道立旭川美術館などが知られています。




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札幌市天文台

「旧旭川市天文台」に次ぎ北海道で2番目に作られた天文台です。昼間は太陽を、夜間は季節の星を中心に観望できます(無料)。
なお、夜間観望については、週末を中心に公開日があらかじめ定められているほか、当面の間は事前申し込みが必要となっています。
旭川市の常盤公園に北海道初の天文台である「旧旭川市展望台」が残されています。現在は使われておりませんが、かつての天体観測の様子を現代に伝える貴重な建物となっています。

札幌コンサートホール Kitara(キタラ)

パイプオルガンを備えた本格的な音楽専用ホール。大小2つのホールがあり、地元の学校の部活動やアマチュア団体から海外の有名オーケストラまで、様々な公演が行われています。
館内にあるレストランのみ利用することもできますので、散策の休憩に立ち寄ってみてもいいですね。
北海道立文学館

公園の東側に位置する文学館です。「常設展」では北海道の文学の概要を学べるほか、「特別展」では北海道に関わらず広く文学に関連した展示が行われています。
収蔵資料の閲覧室もあり、開架資料は自由に手に取り閲覧することができます。
札幌市中島スポーツセンター

大小の体育館や格技室、トレーニング室を備えたスポーツ施設。冬には「クロスカントリースキー(歩くスキー)」の無料貸し出しも行われており、街中で気軽にウィンタースポーツが体験できます。
かつての中島公園には、野球場やスケートリンク、プールなどのスポーツ施設が多く存在していました。現在ではこの中島スポーツセンターと園内南端のテニスコートのみが、その当時の面影を残しています。
中島公園の歴史
中島公園のはじまり(明治時代)

中島公園の一帯が「中島遊園地」として公園予定地に指定されたのは、明治19(1885)年のことです。
翌年には「北海道物産陳列場」が建てられ博覧会が開催されたほか、競馬場も作られるなど公園の整備が始まりました。
明治30年代にかけて、園内の土地の貸し付けを受けた民間業者が料亭や花園(現在の植物園に近い)の運営を始めます。
その後、明治40(1907)年に東京市の技師・長岡安平に公園の設計を依頼、その計画に基づく第一期工事が完成した明治43(1910)年に、現在の名称「中島公園」に改称されました。
博覧会場、スポーツの場として(大正時代~昭和初期)

大正時代から昭和初期にかけての中島公園では、1~2年ごとに各種の博覧会が行われていました。
特に大正7(1918)年の「北海道開道五十年記念博覧会」は大規模なもので、園内には展示施設が数多く建てられ、そのうちいくつかは博覧会終了後も長く集会場や展示場として活用されました。
また、明治時代から続く菖蒲池を利用したスケートリンクに加え、野球場やテニスコート、プールなどの運動施設が整備されたのもこの頃です。
歴史・文化・芸術の公園として(昭和中期~現在)

太平洋戦争後から昭和40年代にかけての中島公園は、豊平館や八窓庵が移築され日本庭園や天文台が作られるなど、徐々に今の姿に近づいていきました。
一方、戦後に新築された施設のうち野球場や遊園地「子供の国」は既に姿を消し、跡地には現在、北海道立文学館や札幌コンサートホールKitaraが建てられています。
開拓初期から時代にあわせて様々に姿を変えてきた中島公園は今、歴史や文化・芸術を身近に感じられる公園となっています。
都心近くの緑と水に囲まれた歴史・文化・芸術の公園

中島公園は「日本の都市公園100選」にも選ばれた、多くのみどころや施設が点在し市内中心部からのアクセスも良好な公園です。
公式ホームページでは各種イベント情報の他、桜の開花状況や紅葉の進み具合もチェックできますので、お出かけの際はぜひご確認ください。
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