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篠路烈々布郷土資料館(札幌市北区)

北の農村文化を今に伝える篠路烈々布郷土資料館

篠路獅子舞の獅子頭を始めとした、篠路烈々布郷土資料館の展示の様子

札幌市北区太平地区。

住宅地が広がるこの場所は、かつて「烈々布(れつれっぷ)」と呼ばれ、畑や牧場が広がる農村地帯でした。

歌舞伎や獅子舞などの農村芸能も盛んだったこの地区の歴史を今に伝えるのが、篠路烈々布郷土資料館です。

資料館では、生活用具や農具、開拓初期の頃から伝わる篠路獅子舞や篠路歌舞伎の資料が展示されており、かつての太平地区の生活を垣間見ることができます。

今回の記事では、篠路烈々布郷土資料館の見どころや展示内容をご紹介します。

烈々布(篠路烈々布)の歴史

入植と苦難の初期開拓

篠路烈々布郷土資料館に展示の大正末期の開拓の様子を写した写真

「烈々布」は現在の札幌市北区と東区にまたがる地域の旧地名で、そのうち篠路烈々布とも呼ばれた旧篠路村に属する地区が、現在の太平地区です。

その開拓の歴史は決して楽なものではなく、明治14(1881)年に数世帯が烈々布に入植したものの、厳しい自然環境を前に撤退を余儀なくされています。

本格的な開拓が始まったのは明治20年代に入ってからで、富山県を筆頭に北陸地方出身者が多く移住しました。

しかし、烈々布の地は泥炭地で、排水溝を掘り土地改良を行う必要がありました。

さらに、度重なる石狩川の洪水にも悩まされ、開拓者たちは過酷な環境と戦いながらも開墾を進めました。

農業の発展と酪農の導入

篠路烈々布郷土資料館に展示のトウモロコシ脱粒機

烈々布の農業は、豆・麦類やトウモロコシなどの畑作が中心でした。

また、気候や土壌に適していたことから、家畜飼料となる牧草や燕麦が盛んに栽培され、水害対策として畑作に加え酪農も行われるようになりました。

時代とともに変化する風景

篠路烈々布郷土資料館の様子

昭和時代に入ると、国鉄札沼線の開通や字名改称(烈々布から太平へ)、戦後の札幌市編入を経て、烈々布の風景は大きく変化していきます。

現在はわずかに残る農地が、かつての農村の面影を残すのみとなっています。

篠路烈々布郷土資料館を訪ねて

篠路烈々布郷土資料館を見学するには

烈々布会館の入口

篠路烈々布郷土資料館は地区会館(烈々布会館)の2階にあり、普段は施錠されているため、見学には事前連絡が必要です。

会館玄関には連絡先として個人宅の電話番号が掲示されていますが、札幌市のホームページでは北区役所市民部地域振興課に連絡するよう案内しています。

個人宅の電話番号を掲載しているブログ記事も見られますが、見学を検討されている方は、北区役所への連絡をお勧めします。

篠路烈々布郷土資料館の展示

会館前に少し早めに到着すると、見学時間に合わせてご年配の男性が開錠にいらっしゃいました。

館内を案内していただきながら、篠路烈々布の歴史について様々な話を伺うことができました。

百合が原公園のサイロ

男性は明治時代の入植者の子孫の方で、現在も近隣にお住まいとのこと。

ご先祖の方は資料館に隣接する百合が原公園の地で酪農を営んでおり、サツラク農業協同組合や雪印乳業のルーツの一つとなった札幌酪農信用販売購買生産組合の設立にも関わったそうです。

(画像:さっぽろ観光写真ライブラリー)

1階(烈々布会館)

資料館は2階ですが、篠路獅子舞に関するポスターなどが掲示されている1階の地区会館も案内していただきました。

烈々布会館1階で篠路獅子舞のお話を伺う
篠路獅子舞
近年の篠路獅子舞奉納の写真が貼られた掲示板

篠路獅子舞は篠路烈々布に伝わる伝統芸能で、その創始は明治34(1901)年、地域の鎮守社だった烈々布天満宮への奉納に遡るとされています。

そのルーツは富山県といわれ、8名で操られる雌獅子とも呼ばれる優美な舞が特徴です。

かつては烈々布獅子舞と呼ばれていましたが、昭和41(1966)年に烈々布天満宮が篠路神社に合祀されたことに伴い、現在の名称に改められました。

現在でも、秋の例祭で篠路神社に奉納される伝統は続いています。

2階(篠路烈々布郷土資料館)

篠路烈々布郷土資料館の様子

かつての篠路烈々布の様子を伝える写真が貼られた廊下や階段の先、2階が篠路烈々布郷土資料館です。

ここには様々な農具や生活用具の他、篠路獅子舞や篠路歌舞伎といった郷土芸能に関する資料も展示されています。

篠路獅子舞の獅子頭
篠路獅子舞の4代目(現役)獅子頭
現役の4代目獅子頭
篠路獅子舞の初代および2代目獅子頭
富山県で入手の初代獅子頭(写真右)

篠路獅子舞の歴代獅子頭が一堂に展示されています。

初代の獅子頭は、交通の便が限られていた明治時代に、富山県を訪ねて入手したという逸話があり、先人たちの獅子舞に懸ける並々ならぬ情熱が偲ばれます。

現在使われている獅子頭は4代目のもので、篠路神社の例祭の際は、この資料館から運び出して獅子舞が奉納されるそうです。

実際に舞に使用されている獅子頭を見ることができるのは、貴重な機会と言えるでしょう。

篠路歌舞伎
篠路歌舞伎の花岡義信引退興行のパネル写真
昭和9年の引退興行のパネル写真、かなり本格的な公演だったことが伺えます

篠路烈々布の郷土芸能の一つである篠路歌舞伎。

娯楽の少ない明治30年代中頃、過酷な開拓生活の中で飲酒や賭け事で気を紛らわせる者が少なくない状況を憂えた集落の若者達が、素人芝居を行おうと発案。

その芝居を烈々布天満宮に奉納したのが、篠路歌舞伎のルーツです。

篠路歌舞伎の台本の写し
篠路歌舞伎の台本(写し)、初めは文字の読みを学ぶところから始まったそう

熱心な歌舞伎ファンであった大沼三四郎氏の指導により、芝居は本格的な舞台へと進化。
回り舞台や花道を備え、地域の人々が集まる一大イベントとなりました。

交通網の発達や娯楽の増加に伴い、篠路歌舞伎は昭和9(1934)年に一度幕を閉じたものの、昭和60年には保存会が設立され、地域の伝統芸能として復興が進められています。

烈々布天満宮
烈々布天満宮の社殿新築費の寄進者一覧
大正4(1915)年、烈々布天満宮の社殿を新築した際の寄進者一覧

明治31(1898)年の大水害を受け、集落の人々の心の支えとして建立されたのが、烈々布天満宮です。

富山県南砺市の北野天満宮から分霊を迎えたこの神社は、昭和41(1966)年に篠路神社と合祀されましたが、資料館には社殿の新築や鳥居の奉納に関する貴重な資料が保管されており、地域の歴史を今に伝えています。

烈々布神社の社殿

烈々布天満宮は烈々布神社とも呼ばれていたようですが、札幌市東区に現存する烈々布神社とは別の神社です(東区の烈々布神社は、旧・札幌村に属する烈々布に鎮座)。

篠路烈々布の歴史と文化を訪ねて

篠路烈々布郷土資料館で篠路獅子舞のお話を伺う

篠路烈々布郷土資料館は、札幌市北区太平にある小さな郷土資料館です。

事前に電話連絡が必要など、見学にはややハードルがあるかもしれません。

しかし、この地を切り拓いた入植者の子孫の方から様々なお話を伺い、篠路烈々布の歴史と文化に触れるという貴重な体験をすることができました。

また、獅子舞や歌舞伎など、札幌市内では珍しい農村芸能の資料にも出会えるのは、この郷土資料館ならではの魅力です。

北の大地の農村文化を体感したい方は、ぜひ篠路烈々布郷土資料館を訪れてみてはいかがでしょうか。

アクセスと開館時間

アクセス:JR百合が原駅から徒歩8分
開館日および開館時間:電話にて要確認
TEL:011-757-2407(札幌市北区役所 市民部 地域振興課)
入館料:無料
公式HP:札幌市役所ホームページ札幌市北区役所ホームページ

参考資料
「さっぽろ文庫1 札幌地名考」(札幌市教育委員会 編/1977年)

「篠路烈々布百年」(冨賢隆 著/1987年)
「新札幌市史 第3巻 通史3」(札幌市教育委員会 編/1994年)
札幌市北区役所ホームページ

  • この記事を書いた人

福島智美

札幌生まれ、札幌育ちの文学修士。学術からビジネス実務の道へ転身し、山口と共に起業する。学芸員資格者でもあり、北海道博物館での実習経験もある。本サイトでは史跡や寺社などを担当。趣味は和装とフィギュアスケート観戦。

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