一つの社殿に2つの神社名をもつ珍しい社(やしろ)

札幌市豊平区の天神山に建つ「平岸天満宮・太平山三吉神社」は、一つの社殿に2つの神社名をもつ珍しい社です。
2つの名前があるため、平岸天満宮・太平山三吉神社の社殿の扁額には、「平岸天満宮」と「太平山三吉神社」の二つが並んで記されています。
一度の参拝で2つの神社の御朱印をいただけるので、御朱印集めをしている方には特におすすめです。
平岸天満宮・太平山三吉神社のご由緒
平岸天満宮が創建される

平岸天満宮は明治36(1903)年、天神山の当時の持ち主だった札幌の豪商・南部源蔵が、故郷の太宰府天満宮(福岡県)の分霊をこの地に祀ったことに始まります。
南部源蔵は「三国屋」という屋号で酒や醤油・味噌、缶詰などの製造・卸売を行っており、最盛期には小樽や旭川など10店舗以上の支店を持っていたといいます。
大正14(1925)年には天神山の所有者が変わりますが、その後も氏子となった近隣の住民により神社の祭礼が続けられました。
南部源蔵は、1932年ロサンゼルスオリンピックの三段跳び金メダリストである南部忠平さんの父として知られます。幼少期の南部忠平さんは、冬になると天神山でそり滑りをして遊んでいたそうです

太平山三吉神社と合祀される

昭和57(1982)年、秋田県の太平山三吉神社総本宮の信仰者が、その分霊を受けて天神山に三吉神社を建立しました。
その際、平岸天満宮と合祀したために、現在のような「一つの社殿に2つの神社名をもつ社」となりました。
平岸天満宮・太平山三吉神社のご祭神

菅原道真公(平岸天満宮ご祭神)
平岸天満宮のご祭神である菅原道真は平安時代の政治家・学者ですが、政争に敗れて左遷された大宰府(現在の福岡県)の地で亡くなります。
その死後、左遷に関係した人々の病死や落雷死が相次ぎ、これを祟りと恐れた人々はその魂を鎮めるため、道真を神として祀るようになりました。

今では「天神さま」とも呼ばれ、特に学問の神様として広く親しまれています。

平岸天満宮の社殿の扉の左右には、合格を祈願する多くの絵馬が奉納されています。
三吉霊神(太平山三吉神社ご祭神)
太平山三吉神社総本宮(秋田県)から分祀された神様が「三吉霊神(みよしのおおかみ)」です。
修験道の場であった太平山(秋田県)に対する山岳信仰から生まれた神様で、勝利成功・事業繁栄などにご利益があるといわれます。

なお、同じく秋田県の総本宮から分霊を受けて創建された札幌市中央区の「三吉神社」にも、「藤原三吉神」という名前で同じ神様が祀られています。
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十二山岳之神(配神)
この神社には、北は青森県の岩木山から南は熊本の阿蘇山まで、日本各地の十二の霊山の神々が祀られています。
全国各地から北海道へ移住してきた人々が、遠く離れた地からでも先祖代々の地を守る神々へお祈りをすることができるようにとの思いが込められているそうです。

平岸天満宮・太平山三吉神社の境内
社殿

第一鳥居から階段状の参道を上ると、第二鳥居から社殿が見えます。屋根が2層になった独特の建築様式が特徴的ですが、三吉神社も似たような形状でした。境内に稲荷神社(後述)を併設しているところも似ていますね。

中央区の三吉神社。屋根の形がそっくりです。三吉霊神は秋田県の山岳信仰が発祥なので、山々の連なりをオマージュした建築となっているのかもしれません。


社殿の裏手には天神山緑地の「平岸林檎園記念歌碑」が建っており(写真左)、その上には平岸天満宮・太平山三吉神社の社殿(本殿)を裏手から見ることができます。
隣接しているように見えますが、平岸林檎園記念歌碑から神社へ行くには天神山緑地の中をぐるっと迂回しなければなりませんのでご注意ください。
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舞殿

平岸天満宮・太平山三吉神社には舞殿があり、春の例祭には神社の雅楽部により舞楽が披露されます。
雅楽部は広くメンバーを募集しているようですので、興味のある方は公式ホームページをチェックしてみてください。
天神山稲荷神社

天神山緑地に通じる参道の入口付近に、赤い鳥居が特徴的な境内社の天神山稲荷神社があります。建立の経緯は分かりませんが、鳥居や社殿は比較的新しいもののようです。
稲荷神社のご利益としては、五穀豊穣・家内安全・商売繁盛などがあるといわれています。
「天神山」の名前の由来になった神社

平岸天満宮・太平山三吉神社のある山は、この地に「天神様」として親しまれる菅原道真を祀る平岸天満宮が建立されたことから「天神山」と呼ばれるようになったといわれています。
天神山周辺を散策する際は、ぜひその名前の由来となった平岸天満宮・太平山三吉神社にも参拝してくださいね。
アクセスと拝観時間

平岸天満宮・太平山三吉神社の参道は傾斜の急な階段が続くので、冬季の参拝はくれぐれも足元にお気を付けください。
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