明治の息吹を今に伝える新琴似屯田兵中隊本部
札幌市の北部、地下鉄麻生駅やJR新琴似駅からほど近い新琴似地区。
住宅や店舗、学校などが立ち並ぶ街並みの中に、歴史ある建物がひっそりと佇んでいます。
それが、札幌市の有形文化財にも指定されている新琴似屯田兵中隊本部です。
かつて、この地を切り拓いた第一大隊第三中隊の本部として、明治時代に建てられました。
今回は、明治の息吹を今に伝える新琴似屯田兵中隊本部の歴史と魅力を、写真を交えてご紹介します。
新琴似の歴史
先述の通り、新琴似屯田兵中隊本部のある新琴似の地は、屯田兵により拓かれた歴史ある街です。
新琴似兵村は、明治20(1887)年に146戸の屯田兵が入植したことを皮切りに、翌年には74戸が加わり、札幌に4つ置かれた屯田兵村のうち3番目に開村しました。
彼らに課せられた任務は、札幌北部の防衛だけではなく、湿地帯が多く排水路の開削や土地改良が必要不可欠なこの地において、組織的な開拓を進めることでした。
泥炭地で水害に遭いやすい土地柄で、温暖な九州地方出身者が多い屯田兵たちにとって、寒さが厳しい北海道での開拓は容易ではありませんでした。
しかし、彼らは幾多の困難を乗り越え、大小10本を超える排水路を自ら開削し、安春川など、現在も地域にその名を残す水路を造り上げました。
屯田兵たちの努力によって、新琴似は畑作中心の農村として発展し、大正7(1918)年の戸数は280戸と開村時を大きく超えました。
また、昭和9年にはJR札沼線が開通し新琴似駅が開設されるなど、交通の便も向上し、地域は活気付いていきました。
戦後も農村の姿を維持していた新琴似ですが、昭和30年代以降は宅地化が急速に進行。地下鉄や鉄道の延伸もあり、現在は住宅地が広がり、かつての田園風景は姿を消しました。
しかし、新琴似開拓の歴史は、新琴似屯田兵中隊本部をはじめとする数々の史跡に今もなお息づいています。
新琴似屯田兵中隊本部を訪ねて
新琴似屯田兵中隊本部の最寄り駅は、JRの新琴似駅もしくは地下鉄の麻生駅です。
より近いのは新琴似駅ですが、今回は麻生駅を利用しました。
駅からは徒歩10分ほどで到着。隣接する新琴似神社への参拝を済ませた後、中隊本部を訪ねました。
新琴似屯田兵中隊本部のあゆみと特徴
新琴似屯田兵中隊本部とは
新琴似屯田兵中隊本部は、この地に屯田兵が入植する前年の明治19(1886)年に建てられたとされています。
この建物は、兵士としての屯田兵を統括・指揮する拠点であると同時に、開拓民でもあった屯田兵とその家族を束ねる村役場のような役割をも果たす、兵村の中心となる存在でした。
屯田兵の兵役解除後は地域の共有財産となり、自治組織の事務所や公会堂などとして、改修を繰り返しながら利用されました。
また、戦後は託児所や中学校の仮校舎などを経て、昭和30(1955)年には札幌市の出張所が開設されました。
昭和40(1965)年に札幌市に寄付された後、文化財としての保存を求める声が上がったことを受け、復元工事を経て昭和49(1974)年に市の有形文化財に指定。
屯田兵ゆかりの品々を展示の上、昭和51(1976)年から一般公開されています。
新琴似屯田兵中隊本部の特徴
新琴似屯田兵中隊本部は、北海道開拓使や発足初期の北海道庁の手による洋風建築の特徴が随所に感じられる建物となっています。
その一つが、札幌市時計台にも採用されているバルーンフレーム構造による小屋組みです。
他にも、札幌市内に残る明治初期~中期の洋風建築によく見られる下見板張りの壁などが特徴にあげられます。
また、現代に残る屯田兵中隊本部の建物は、新琴似の他には野幌兵村(江別市)の2つしか残っておらず、屯田兵制度に関連する遺構としても大変貴重なものとなっています。
なお、野幌兵村中隊本部は新琴似のものより1~2年ほど前に建てられたと推測されていますが、両者は左右が逆になっただけで同一の設計に基づいて作られており、その外見は双子のように似ています。
新琴似屯田兵中隊本部の屋内
切妻造の玄関から屋内へ入ると、廊下を挟んで左右に大きめの部屋が配置されています。
「下士官事務室」と表示された左手の部屋へ入ると、カウンターで管理人の方が出迎えてくれました。
下士官事務室と軍医室
この部屋は、6~8名ほどいたという下士官の事務室だったと言われています。
現在は、札幌に置かれた4兵村の位置を示す立体地図を中心に、説明パネルを通じて屯田兵制度や新琴似屯田兵村のあゆみを紹介する展示スペースとなっています。
間仕切りのガラス戸の奥には、屯田兵手帳や従軍記章、関連文書など、新琴似の屯田兵に関する貴重な資料が並びます。
これらの資料は、当時の屯田兵たちの生活や、新琴似の開拓の様子を垣間見せてくれます。
入口には各部屋の用途が掲示されており、往時の様子をよりリアルに想像することができます。
例えば、下士官事務室の奥の部屋は軍医室と推測されています。
下士官集会室と中隊長室
続いては廊下を挟んで右手側の部屋へ。
三方を囲む引き違いガラス窓が印象的な一室ですが、管理人の方によると、まだ電気のない当時に採光を考えた設計だったのではとのこと。
室内はガラスの引き戸で仕切られており、手前が下士官集会室、奥が中隊長室だったとされています。
札幌市の出張所時代はカウンターがあったという下士官集会室ですが、現在は中央に屯田兵村時代の中隊本部周辺を再現したジオラマが展示されています。
現在も、開村当時と同じ場所に建っている中隊本部。
屯田兵たちは毎朝、ラッパの音を合図に中隊本部前の広場に集まり、点呼を受けて業務についたそうです。
また、中隊長室には、中隊本部の役割や建物の特徴を説明するパネルの他、屯田兵大礼服が展示され、更に中央には当時をイメージした机と椅子が置かれています。
当直室
当直室と推定されている廊下の突き当たり(中隊長室の隣)の部屋には、かつての暮らしを偲ばせる様々な生活用具が展示されています。
中でもひときわ目を引くのが、「もやい井戸」の遺構です。
「もやい」とは「共同、共有」という意味で、4戸ごとに1つ設置された井戸を、新琴似兵村の人々はこのように呼んでいました。
私たちが一般的に想像する素掘りの井戸とは異なり、新琴似兵村の井戸は、高さ70センチほどの桶を地中に埋め込み、その底に水源まで続く長さ約30メートルの竹を設置した独特な構造をしています。
竹の長さは30mにも及び、水漏れ対策のためか、竹の継ぎ目には昆布が巻かれていたそうです。
廊下
天井の高さが印象的な、当直室の前に伸びる廊下。
右手には便所と炊事室の入口が並び、左手には年表や古写真のパネルと、更に奥には屋根裏へ続く階段があります。
階段は急勾配でかなりの狭さ。
窓もある屋根裏は物置として使われていましたが、荷物の上げ下ろしには、中央廊下の天井にある改め口を使用したそうです。
炊事室
炊事室には、農村だった頃の新琴似の姿を彷彿とさせる、大小さまざまな農具が展示されています。
新琴似では、屯田兵の時代から様々な作物が栽培されてきました。
中でも大根は新琴似の特産品として知られており、昭和初期には、その生産量は800万本に達し、札幌の秋大根の全消費量を賄うほどでした。
また、明治23(1890)年に近隣(現在の麻生地区)で北海道製麻会社の工場が開業したこともあり、亜麻の生産も盛んでした。
屋外の見どころ
新琴似屯田兵中隊本部は、兵村の守り神として創建された新琴似神社の境内に位置しています。
中隊本部を訪れた際は、ぜひ参拝することをお勧めします。
また、境内には、地域の歴史を今に伝える石碑が数多く立ち並んでいます。
中隊本部とあわせて、開拓の歩みが刻まれたこれらの石碑を見学することで、新琴似の歴史をより深く感じることができるでしょう。
新琴似と共に歩み続ける新琴似屯田兵中隊本部
今回は、札幌市北区新琴似にある新琴似屯田兵中隊本部をご紹介しました。
北海道には37の屯田兵村が設けられましたが、その中でも中隊本部の遺構が残るのは、この新琴似と野幌の2か所のみ。
近年は、人気漫画「ゴールデンカムイ」に、この中隊本部をモデルにしたと思われる建物が登場するということで、作品のファンの方々が訪れることも増えているそうです。
移り変わる時代の中で、新琴似屯田兵中隊本部は地域のシンボルとして、これからも多くの人々に新琴似の歴史を伝えていくことでしょう。
アクセスと開館時間
アクセス;JR新琴似駅から徒歩8分、または札幌市営地下鉄南北線「麻生」駅より徒歩13分
開館時間;10:00 ~ 16:00
開館日;4月~11月の火・木・土曜日 ※冬期休館
入館料;無料
公式HP;札幌市役所
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参考文献
「新琴似百年史」(新琴似百年史編纂委員会 編/1986年)
「しんことにってどんなとこ」(札幌の明日を考える会 編/2011年)
札幌市北区役所ホームページ