谷を下れば別世界―「神寄谷」の傍らに立つ白石の鎮守

国道12号線近く、商業施設や住宅地が広がる市街地に鎮座する白石神社。
しかし、その社殿右手にある階段を降りると、豊かな緑と清冽な湧水に満ちた御神苑「神寄谷(かみよりだに)」の静寂が広がっています。
札幌市内とは信じられないような独特の雰囲気が漂い、真夏日であっても池と木々がもたらす涼やかな空気が訪れる者を包み込みます。
神社が位置するのは、月寒川の左岸に広がる台地(西岡台地・月寒台地)の端。
清らかな湧水を抱くこの谷地に、古くから人々は特別な気配を見出してきたのかもしれません。
本記事では、白石神社のご由緒や境内の見どころを写真と共にご紹介します。
白石神社の歴史とご由緒
はじまりは札幌神社の遙拝所だった

白石神社の歴史は明治4(1871)年11月、旧仙台藩白石城主・片倉家の家臣であった佐藤孝郷以下104戸約400人が、この地に入植したことに始まります。
翌明治5(1872)年、彼らは神武天皇を開拓の守護神として祀りたいと願い出ますが、開拓使はこれを許可せず、札幌神社(現・北海道神宮)の遙拝所を建立するよう指示しました。
これを受け、円山に遷座したばかりの札幌神社旧社殿(仮社)を譲り受けて村内へ移築し、遙拝所としました。
この遥拝所が白石神社の前身です。
このとき、開拓に挑む片倉家旧家臣の姿に感銘を受けた開拓使判官・岩村通俊は、神武天皇陵とされる畝傍山陵の砂をご神体として授けたと伝えられています。
村の外れに置かれた遥拝所
遥拝所が建てられたのは、村の東端にあたる「百番地」でした。
札幌市街から最も遠いこの地が選ばれた背景には「祭りの日ぐらいは、普段訪れない村外れに村民全員で集まろう」という意図があったと言われています。
神社公認から2度の火災、そして現在に至るまで

白石村の札幌神社遥拝所は、明治15(1882)年の大破・修繕、同24(1891)年の社殿改築を経て、明治30(1897)年9月10日に神武天皇を主祭神とする「白石神社」として正式に公認されました。
更に大正9(1920)年には村社へと昇格を果たしています。
その着実な歩みの一方で、神社は二度の火災に見舞われる試練も経験しました。
明治32(1899)年の類焼による焼失と数年後の再建、そして昭和41(1966)年にも火災により社殿を全焼。
この昭和の火災後の再建に際し、社殿はかつての場所から現在の境内地へと移転されました。
平成7年(1995年)には社務所が新築され、平成10年代には道内の初詣参拝者数で北海道神宮に次ぐ第2位となるなど、白石神社は今もなお地域を暖かく見守る鎮守社として親しまれています。
縄文の人々も見た、恵みの湧水―白石神社遺跡
札幌市教育委員会による発掘調査第1号「S94遺跡」

白石神社の境内一帯には、実は「白石神社遺跡」(S94遺跡)と呼ばれる遺跡があります。
この場所から土器や石器が出土することは古くから知られており、考古学者・河野常吉の調査ノートには、大正時代に角柱状の立石が存在していたことが記されています。
この立石は現存しませんが、縄文時代後期の周堤墓(集団墓)だった可能性が指摘されています。
昭和47(1972)年、道路工事に伴い実施されたこの遺跡の発掘調査は、札幌市教育委員会による本格的な発掘調査の第1号となりました。
調査では縄文時代中期の竪穴住居跡や土壙をはじめ、続縄文時代から擦文時代にかけての土器や石器が多数発見されています。
湧水のほとりに眠っていた旧社殿の痕跡

この発掘では、かつての社殿跡についても調査が行われています。
明治時代から昭和41年(1966年)の焼失まで、社殿は湧水の西側(現在の白石藻岩通)に建てられていました。
調査ではその場所から、レンガ積みの土台と、その内側にピット(穴)が確認されています。
文献との照合により、ピットは明治期の火災で焼失・再建された社殿の跡、レンガ積みの土台は大正時代に建てられ昭和41(1966)年に焼失した社殿のものと推測されています。
白石神社のご祭神

白石神社のご祭神は、神武天皇(神倭磐余毘古尊(かんやまといわれひこのみこと))です。
九州から東征を開始し現在の奈良県に至り、初代天皇として即位したとされることから、国家安泰や開運勝利、開拓などのご利益があるとされています。
白石神社の境内をめぐる
大燈籠―かつての境内入口

国道12号線沿いに佇む大燈籠。これはかつての参道の始まりを示すものです。
S94遺跡の発掘調査からも明らかなように、昭和41(1966)年に焼失するまでの旧社殿は、ちょうどこの燈籠の西を通る道路(白石藻岩通)の上に位置していました。
社殿

現在の社殿は神明造で、昭和42(1967)年に御造営されました。
明治と昭和の二度の火災を経て、現在の社殿が建てられる際に以前の場所(神寄谷の西側)から現在地へと移動しています。
狛犬


拝殿前には、大正時代に奉納された一対の狛犬が鎮座しています。
装飾のないシンプルですらっと伸びた肢体と、口元から覗く鋭い歯が印象的で、凛々しくもどこか親しみやすい表情を見せてくれます。
白石開拓の足跡を伝える記念碑
境内には、白石開拓の歩みを今に伝える石碑が点在しています。
白石村開村碑

入植時の開拓指導者・佐藤孝郷が明治40(1907)年に白石村を訪れたことを機に建碑の機運が高まり、地域住民の寄付により明治45(1912)年に建立されました。
なお、開村碑の横には、明治4(1871)年に入植した104戸の戸主名を刻んだ碑が、昭和57(1982)年に建てられています。
開村五十年記念碑

大正9(1920)年、開村50年を記念して境内に建立された石碑です。
同年には開村50年記念式も執り行われ、開拓に尽力した先人たちの労苦を偲びつつ、村の発展を祝う大きな節目となったようです。
白石開基百年之碑

開村100年を記念し、昭和45(1970)年に建立されました。
社殿右奥に位置する他の2つの石碑と異なり、白石藻岩通に面して建てられているため、参拝時には見落とさないよう注意が必要です。
神寄谷―湧水と緑が包む神々の集う森

社殿の南側に広がる「神寄谷」は、湧水と緑に包まれた御神苑です。
その歴史は、昭和19(1944)年に古くから湧き出る水を池として整え、白石竜宮神社を建立したことに始まるそうです。
谷の静寂の中には、多くの境内社をはじめ、仏像や遥拝碑、記念碑など、神仏の垣根を超えた祈りの跡が静かに息づいています。
神寄谷の御社
神寄谷には4つの神社(境内社)が鎮座しています。
白石竜宮神社

昭和19(1944)年建立。神寄谷に鎮座する中では最古の御社です。
崖下の湧水のほとりに位置し、水を司る龍神様である豊玉姫命をお祀りしています。
白石伏見稲荷社

昭和52(1977)年、京都の伏見稲荷大社から分霊を受けて建立されました。
ご祭神の稲荷大神は、五穀豊穣や商売繁盛などのご利益で知られます。
白石天神社

学問の神様として知られる菅原道真公(天神様)をお祀りしています。
白石辨天神社

辨天様は縁結びや金運・財運、技芸上達のご利益で知られる女神で、水との関わりも深いとされています。
池の中島に建てられた赤い橋と社殿が非常に印象的です。
神寄谷の神仏や石碑


神寄谷の境内には、神々とともに不動明王や如意輪観音、水子地蔵といった仏様が静かに祀られています。
さらに、伊勢神宮や橿原神宮を遥拝する石碑をはじめ、農耕馬を供養する馬頭観世音碑も佇み、この神寄谷には多種多様な祈りの形が集積しています。

ほかにも、大正9(1920)年に建立された「日露戦捷記念碑」や、白石竜宮神社・白石伏見稲荷社の周囲に佇む「慎而勿怠碑」「白石龍宮神社祭祀記念碑」「御詠碑」といった石碑群が散見され、この地が歩んできた深い歴史の重みを静かに物語っています。
悠久の歴史と神寄谷の湧水に触れる、白石神社を訪ねて

縄文の人々が湧水のそばで暮らし、明治の開拓民が新天地への祈りを込めて社を築き、現代の私たちが同じ場所で涼やかな谷の空気に包まれる――白石神社は、そんな長い時間の積み重ねを静かに物語る場所でした。
清涼な湧水が揺らめく「神寄谷」の佇まいや、境内の石碑や社殿に刻まれた歴史を味わいに、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。




