北海道神宮の概要
北海道の総鎮守

札幌市中央区にある北海道神宮は、北海道の開拓政策の一環として建立された「北海道の総鎮守」です。敷地面積は18ヘクタール(180,000㎡)の広大さで、円山公園に隣接しています。
北海道で最も参拝者の多い神社であり、札幌観光協会の選ぶおすすめパワースポットに認定されるなど、現在でも毎日多くの人々が訪れます。
札幌観光協会認定のパワースポット
札幌観光協会認定のパワースポットは他にもたくさんあります。当サイトでもいくつかピックアップしていますので、ご紹介します。
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北海道神宮のご由緒
円山に鎮座するまで

北海道神宮は北海道の開拓を進めるにあたり、その守護神として創建された神社です。明治2(1869)年、明治天皇の命令により「開拓三神(詳細は後述)」を北海道開拓の守護神として祀ることとなり、東京で祭祀が行われたのがその始まりとされます。
この年、開拓三神の御霊代(みたましろ:神が宿ったもの、ご神体)が東京から北海道へ運ばれますが、この際、函館から札幌まで御霊代を運んだのが開拓判官の島義勇です。
御霊代は開拓使の役宅を経て、仮社殿(現在の北6条東1丁目)に祀られます。

円山の現在地に社殿が完成したのは明治4(1871)年で、「札幌神社」と名付けられたのもこの年のことです。
円山鎮座から現在

円山に鎮座した札幌神社(現在の北海道神宮)は北海道の神社の中で最も格が高く(太平洋戦争終結までの日本では法律により神社の「格」が定められていました)、道内各地で厳しい開拓に当たる移住者の心の支えとなります。
北海道神宮頓宮(とんぐう)


道内各地に札幌神社の遥拝所(ようはいじょ=離れたところから神様を拝むための場所)が設けられ、札幌市中央区の「北海道神宮頓宮」もそのうちの一つです。
太平洋戦争後も「北海道の守護神」としての札幌神社の地位は揺らぐことはなく、昭和39(1964)年には社殿を新築し明治天皇がご祭神に加えられたほか、「札幌神社」から「北海道神宮」に改称しました。
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北海道神宮の初詣
現在も初詣は多くの参拝者でにぎわうほか、毎年6月15日の例祭は「札幌まつり」として札幌の初夏の風物詩となっています。

北海道神宮のご祭神
開拓三神

北海道神宮に祀られた四柱の祭神のうち、「大国魂神(おおくにたまのかみ)」「大那牟遅神(おおなむちのかみ)」「少彦名神 (すくなひこなのかみ)」の三柱は、あわせて「開拓三神」と呼ばれています。
大国魂神 (おおくにたまのかみ)
「大国魂神」は北海道の国土の神とされています。
日本神話の神様や歴史上の人物ではありませんが、「国土そのものに神が宿る」という日本古来の考えに基づき、国(ここでは北海道)そのものを神格化した神様のことです。

大那牟遅神(おおなむちのかみ)
「大那牟遅神」は「大国主神(おおくにぬしのかみ)」とも呼ばれ、日本神話によれば少彦名神と協力して地上世界の国造りを行った神様です。
神話におけるその役割から国造り=開拓や国土経営の神とされ、少彦名神とあわせて、未開の大地を開拓するという大事業の支柱となるにふさわしい神といえます。

(大己貴神の先祖とされる)
少彦名神(すくなひこなのかみ)
「少彦名神」は上記の通り、日本神話によれば大那牟遅神が行った地上世界の国造りに協力した神様です。
大那牟遅神と同じく開拓や国土経営の神とされるほか、医療や酒造りの技術を伝えたという神話から、これらの守り神としても信仰されています。

神話によれば、少彦名神は小人のように体が小さい神様で、一寸法師のモデルになったといわれています。
明治天皇
日本の近代化を進めた明治天皇は、第122代目の天皇にあたります。
北海度開拓の守護神として開拓三神を祀るよう命じるなど、北海道神宮と深いかかわりがあります。
明治天皇が北海道神宮の祭神に加えられたのは、昭和39(1964)年のことです。


北海道神宮の境内
社殿

北海道神宮の社殿は明治初期の円山鎮座以来、過去に何度か造営されています。先代の社殿は昭和49(1974)年に放火で焼失しており、現在の社殿はその後の昭和53(1978)年に新築されたものです。
島義勇(しまよしたけ)の銅像

明治天皇が祭神に加わったこと及び社号変更から十周年を記念し、昭和49(1974)年に建てられた銅像です。島義勇が開拓三神の御霊代を背に、神社の建立地を円山に決めたときの姿が再現されています。
彼が開拓判官を勤めた期間はわずか半年ほどに過ぎませんが、北海道開拓の父として、その功績は今も語り継がれています。
神宮茶屋

全国的に知られた北海道の製菓メーカーである六花亭が運営する喫茶店です。島判官にちなんだ銘菓「判官さま」はここだけの限定発売なので、ぜひ味わっておきたいですね。
北海道神宮の境内社

北海道神宮の境内には3つの境内社があり、いずれも円山公園口鳥居から本殿へ向かう参道の途中に並んでいます。
開拓神社

昭和13(1938)年の北海道開道70周年を機に、開拓功労者36柱(後に1柱を合祀し計37柱)を祭神として建立された神社です。
境内に銅像のある島義勇はもちろん、隣接する円山公園に銅像のある岩村通俊の他、伊能忠敬や間宮林蔵といった日本史上の有名人も祀られています。
開拓神社も拝殿と本殿が別々になった構造です。北海道神宮と違って拝殿に壁が無いため、2つの建物の位置関係がよくわかります。

鉱霊神社

北海道開拓期に鉱業に従事した殉職者を祀る神社です。昭和18(1943)年に当時の札幌鉱山監督局の敷地内に建立され、その後、昭和24(1949)年に現在地に移転しました。
北海道で鉱業というと石炭のイメージが強いですが、札幌にはかつて、金・銀・銅などを産出した手稲鉱山や、銀・鉛・インジウムなどを産出した豊羽鉱山などの金属鉱山がありました。
穂多木神社

昭和13(1938)年、北海道拓殖銀行の守護神として札幌神社(現在の北海道神宮)の分霊を受け、同行本店に建立された神社です。
また、北海道拓殖銀行の物故役職員も祀られています。昭和25(1950)年に現在地へ移転しています。
桜の名所

円山の桜の歴史は古く、明治8(1875)年、開拓判官であった島義勇を偲んで札幌神社(現在の北海道神宮)の参道に植えられた150本の桜が始まりです。
現在ではその数は1,000本を超え、隣接する円山公園もあわせ桜の名所として、今も参拝者の目を楽しませています。
北海道神宮の樹木

北海道神宮には札幌近郊では珍しい杉林があります。先述の桜も含め、これらの境内の木々は札幌市の保存樹林に指定されています。
なお、保存樹木(林)の所在地には神社や寺院が多くみられ、当ブログでご紹介した三吉神社のこぶしの他、琴似神社や札幌護国神社の境内の林も保存樹林の指定を受けています。
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北海道神宮のいろいろトピック
第一鳥居と北海道神宮の社号標

境内の北側、表参道の境内入口に位置する鳥居は、実は「第二鳥居」です。「第二」ということは「第一」もあるはずですが、「第一鳥居」はいったいどこにあるのでしょうか?
第一鳥居はここにあります


「第一鳥居」は「第二鳥居」前の道を東側へ700mほど進んだ先の住宅街の中に建っています。このあたりは都市間バスや循環バスが頻繁に通行する幹線道路の交差点で、付近には「円山第一鳥居」という名前のバス停留所もあります。
社号標は表参道と札幌駅前通との交差点にある


第一鳥居の東方向、表参道と札幌駅前通との交差点に、大正時代に建立された「北海道総鎮守 北海道神宮」の社号標が建っています(写真の道路を奥へ向かって約2.7km直進すると第一鳥居にたどり着きます)。
札幌まつり(北海道神宮例祭)

北海道神宮の例祭は「札幌まつり」と呼ばれ、札幌の初夏の風物詩となっています。毎年6月15日が例祭、翌16日には市内中心部をお神輿が渡御(とぎょ)します。
露店は中島公園を中心に6月14日から出店され、学生や家族連れで賑わいます。
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これからもずっと道民とともにあり続ける

北海道神宮はその成り立ちから、北海道開拓と深いかかわりを持つ道内では歴史の古い神社です。初詣では北海道で最も多くの参拝客が訪れるなど、現在でも道民の神社として親しまれています。
また、自然豊かな境内は散策スポットとしてもお勧めですので、隣接する円山公園や円山動物園とあわせて訪ねてみてください。