神社仏閣

三吉神社(札幌市中央区)

2022年12月22日

三吉神社の魅力とは~札幌の鎮守神の歴史と由緒~

三吉神社の社殿

札幌市の中心部、市電に面した場所にある三吉神社。

境内はさほど広くありませんが、その歴史と由緒は深く、秋田県からの移住者が故郷の神社の祭神をお祀りして創建した神社です。

札幌とその近郊では、北海道の総鎮守である北海道神宮に次いで公認神社となり、札幌市民の崇敬を集めてきました。

今回は、そんな「札幌の鎮守神」三吉神社をご紹介します。

三吉神社のご由緒

創建~公認神社となる

大正8年頃の三吉神社
大正8年頃の三吉神社
(北海道大学付属図書館蔵)

三吉神社は、明治11(1877)年、秋田県から移住した木村藤吉が、故郷の大平山三吉神社の分霊を豊平河畔にお祀りしたことに始まります。

翌年には現在地に移り、明治13年(1880年)には、戦前の国家神道の元で国の祭祀をつかさどるよう公認された神社、つまり「公認神社」となりました。

三吉神社は当時の札幌および周辺の村々の神社の中で、もっとも早くに公認神社の指定を受けました(北海道総鎮守である北海道神宮を除く)。

札幌の鎮守神として

昭和11年頃の三吉神社
昭和11年頃の三吉神社、鳥居や玉垣、社号標は現存している
(北海道大学付属図書館蔵)

公認神社となったことで、三吉神社は徐々に札幌の鎮守神とみなされるようになりました。

近隣に三吉神社から分霊を受けた神社が建立されたり、例祭日には市内の小学校は休業して三吉神社に参拝するよう定められたりなど、札幌の鎮守神としての格の高さがうかがえるエピソードが今に伝えられています。

そして、昭和5(1930)年には札幌市唯一の県社に昇格し、名実ともに札幌の鎮守神となりました。

現在の三吉神社

戦後は例祭の神輿巡行が中止された時期などもありましたが、創祀100年を迎えた昭和50年代頃から社殿の造営や神輿渡御の復活が行われ、今でも多くの参拝者を集めています。

三吉神社のご祭神

三吉神社扁額

三吉神社は、総本宮である秋田県の太平山三吉神社と同じく、大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)、藤原三吉神(ふじわらみよしのかみ)の三柱をお祀りしています。

また、明治15(1882)年に無格社から村社に昇格した際に、金刀比羅宮(ことひらぐう)と天満宮の二柱がご祭神に加えられました。

三吉神社の境内から見た市電

大己貴神(おおなむちのかみ)

少彦名神と協力して地上世界の国造りを行った神様で、「国を造る」ことから開拓をつかさどるとされています。

また、医薬や縁結びの神としても知られています。

少彦名神(すくなひこなのかみ)

大己貴神と協力して地上世界の国造りを行った神で、「国を造る」ことから開拓をつかさどるとされています。

また、医薬や酒造の守り神とも言われています。

藤原三吉神(ふじわらみよしのかみ)

太平山(秋田県)の山岳信仰にルーツを持つ神様です。

太平の城主である藤原鶴寿丸三吉が修行により力を身につけ、神として祀られたとも伝えられています。

勝利成功や事業繁栄のご利益があるとされています。

金刀比羅宮(ことひらぐう)

香川県にルーツを持つ、山岳信仰と修験道が融合して生まれた神様です。

商売繁盛や航海守護のご利益があるとされています。

天満宮

平安時代の政治家・学者である菅原道真が神格化した神様です。

学問の神様としてよく知られています。

三吉神社の境内

狛犬

三吉神社の狛犬(吽形)
三吉神社の狛犬(阿形)

狛犬といえば石造りが一般的ですが、三吉神社の狛犬は珍しくブロンズ製です。

筋骨隆々とした前足や豪快な口の開き具合が、とても印象的です。

昭和9(1934)年に奉納されたこの狛犬は、昭和11年に撮影された三吉神社の写真にも写っており、歴史を感じさせます。

昭和11年の写真に写る三吉神社の狛犬(吽形)
(北海道大学付属図書館蔵)
昭和11年の写真に写る三吉神社の狛犬(阿形)
(北海道大学付属図書館蔵)

出世稲荷社

三吉神社にある出世稲荷社

本殿の右側には、境内社の出世稲荷社があります。

いつから三吉神社の境内に置かれるようになったのかは定かではありませんが、稲荷社は商売繁盛や五穀豊穣をはじめとする様々なご利益があると言われています。

「郷社三吉神社」と「三吉大神」の石碑

「郷社 三吉神社」と「三吉大神」の石碑

出世稲荷社の左奥にひっそりと佇むのが、「郷社 三吉神社」と「三吉大神」の石碑です。

郷社三吉神社碑

この石碑は、三吉神社が郷社に昇格した明治30(1897)年頃に建てられたものと思われます。

裏には「総代発起人」の名が刻まれており、その筆頭には三吉神社を建立した木村藤吉の名前が確認できます。

郷社三吉神社碑の裏面

三吉大神碑

三吉大神碑の裏面

表面は「三吉大神」、裏面は上部に横書きで「紀念碑」と、その下に縦書きの漢文が刻まれています。

漢文の内容は不明ですが、「村社に列せらる(被列村社)」と読める箇所があります。

このことから、明治15(1882)年の村社昇格より後に建てられた石碑と考えられます。

御使御差遣記念碑

昭和11(1936)年10月に昭和天皇が札幌へ行幸された際、三吉神社には天皇の使者として甘露寺受長侍従が派遣されました。

この石碑は、その使者差遣を記念して建てられたものです。

当時、三吉神社が札幌の鎮守神として天皇から特別な配慮を受けたことがうかがえる石碑です。

三吉神社の御使御差遣記念碑

三吉神社の魅力を知って、観光やショッピングの際はぜひ参拝を

三吉神社の鳥居と札幌市電

札幌の鎮守神として人々の信仰を集めてきた三吉神社。

戦前の例祭は露店が立ち並び大賑わいだったそうで、路面電車も三吉神社の前を通る際はスピードを落とし、乗客は社内からお参りをしていたというエピソードからも、その様子がうかがえます。

札幌の繁華街の中心に位置するため、現在はビルに囲まれてしまいましたが、アクセスはとても便利です。

観光やお買い物、外食などの際、ちょっと足をのばしてぜひ参拝してみてください。

アクセスと拝観時間

社務時間 ;9:00 〜 17:00
アクセス;地下鉄「大通駅」より徒歩7分、札幌市電「西8丁目」停留所より徒歩1分、地下鉄東西線「西11丁目駅」より徒歩5分 ※駐車場あり
公式HP:三吉神社

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参考文献
「さっぽろ文庫39 札幌の寺社」(札幌市教育委員会 編/1986年)
「新札幌市史 第2巻 通史2」(札幌市教育委員会 編/1991年)
「新札幌市史 第4巻 通史4」(札幌市教育委員会 編/1997年)

  • この記事を書いた人

福島智美

札幌生まれ、札幌育ちの文学修士。学術からビジネス実務の道へ転身し、山口と共に起業する。学芸員資格者でもあり、北海道博物館での実習経験もある。本サイトでは史跡や寺社などを担当。趣味は和装とフィギュアスケート観戦。

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