開拓の守り神として創建された上手稲神社
札幌市西区の上手稲神社は、明治9(1876)年、当地に入植した仙台藩白石城主片倉家の人々の手により、開拓の守り神として創建されました。
以来、「宮の沢」という地名の由来となるなど、当地の氏神社として、人々の尊崇を受けてきました。
現在では隣接する宮丘公園と共に、地元住民の憩いの場として親しまれています。
上手稲神社のご由緒
上手稲村の沿革
下手稲開拓の歴史は、明治5(1872)年、前年に白石村(現在の札幌市白石区)に入植した旧仙台藩白石城主片倉家の家臣団約150戸のうち52戸が、現在の札幌市西区宮の沢地区に移住したことに始まります。
初め手稲村(アイヌ語で「濡れているところ、湿地」の意)と呼ばれていたこの地は、やがて2つに分けられ、片倉家の家臣団が入植した地域は上手稲村と呼ばれるようになりました。
現在の地名である「宮の沢」は、上手稲神社が所在していたことに由来するといわれており、昭和17(1942)年に上手稲村から改称されました。
上手稲神社の沿革
明治9年(1876)、4年前に上手稲の地に入植した片倉家家中の人々により、開拓の守護神をお祀りする祠が設けられたのが、上手稲神社のはじまりです。
当初の所在地は、現在の宮の沢2条4丁目付近でしたが、火災や区画整理のため、明治末期と昭和中期の二度に渡り移転しています。
また、昭和時代には二度に渡り近隣の西野神社との合併論がおきています。
このように、上手稲神社は数度の危難を迎えながらも、地区の開拓神社として、1世紀半近くの歴史を紡いできました。
上手稲神社のご祭神
須佐之男命(すさのおのみこと)
上手稲神社の創建時に、開拓の守護神として祀られたのが、「須佐之男命(すさのおのみこと)」です。
神話のヤマタノオロチ退治などで有名な須佐之男命ですが、農業の守護や疫病を祓う神様として信仰されるほか、学問や縁結び、商売繁盛などにもご利益があるとされています。
天照大神(あまてらすおおみかみ)
天照大神(あまてらすおおみかみ)が上手稲神社のご祭神に加えられたのは、明治31(1898)年のことです。
須佐之男命の姉とされる天照大神は、日本神話の最高神として、国土安泰・福徳・開運・勝運などにご利益があるといわれています。
上手稲神社の境内
社殿
上手稲神社の社殿は、昭和40(1965)年に現在地へ移転した際に建てられたものです。
伊勢神宮などと同じ神明造を基本としていますが、白壁が特徴的なその姿は、教会のようにも見える独特な雰囲気を持っています。
ご神木
上手稲神社のご神木は、推定樹齢500年のイチョウの木です。
このイチョウは、神社が現在地に移転する前の境内にあったもので、昭和40(1965)年の移転後も、旧境内で地域の発展を見守り続けていました。
しかし、神社の跡地に銀行が建てられることになり、平成6(1994)年に現在地へ移植されたものです。
移植から30年近く経った今でも、イチョウは見事な姿を保ち、上手稲神社を訪れる人々に親しまれています。
牛馬供養塚
牛馬供養塚は、大正9'1920)年に建てられた、農耕や運搬に使われた牛や馬を慰霊する石碑です。
牛や馬の力は開拓や農業には欠かせない存在でした。札幌市内には、このような家畜の霊を慰めるための馬頭観世音碑が散見されます。
上手稲神社の牛馬供養塚も、開拓の歴史を今に伝える遺産の一つといえるでしょう。
狛犬
上手稲神社には、二対の狛犬が鎮座しています。
そのうち参道の左右に置かれた狛犬は、神社のほど近くに本社を構える、石屋製菓株式会社の奉納になるものです。
北海道銘菓「白い恋人」で有名な石屋製菓は、Jリーグに加盟するサッカーチームである、コンサドーレ札幌のオフィシャルパートナーです。
そこで、蹴鞠に足を置く姿をとることがある狛犬に球技上達の願いを込めて、神社の創始130年目の節目に奉納されました。
地名や公園名の由来となった上手稲神社
上手稲神社は付近の「宮の沢」という地名や、神社に隣接する宮丘公園の名前の由来となるなど、地域の歴史と深いかかわりのある神社です。
札幌の観光スポットの一つである「白い恋人パーク」からもほど近いので、あわせて参拝してみてはいかがでしょうか。