新琴似神社の概要
新琴似屯田兵村の中心に鎮座する開拓の守護神
明治8(1875)年に「屯田兵 第一大隊 第一中隊」が現在の札幌市西区の琴似地区に入植して北海道の開拓がスタートし、屯田兵制度が終わるころには北海道の各地において合計37の屯田兵村が開村しました。
札幌では琴似、山鼻、新琴似、篠路の4ヶ所に屯田兵村が置かれましたが、それらの中で3番目に開村したのが新琴似兵村です。
新琴似神社は屯田兵の入植と時を同じくして、新琴似屯田兵村の中心となる中隊本部のそばに創設された神社です。境内には今も中隊本部の建物が残るほか、地域の歴史を物語る石碑が数多く立ち並んでいます。
新琴似地区について
新琴似地区は札幌市北区にある街で、地下鉄南北線の北方面のターミナル駅である麻生町に隣接しています。もともと新琴似は昭和30(1955)年までは当時の琴似町の一部でしたが、市制施行の流れの中で新琴似は北区に、琴似は西区へと分かれました。
札幌市有数の繁華街として知られる琴似に比べると、新琴似はやや地味な印象がありますが、小規模ながら公共インフラがコンパクトにまとまった住みやすい街です。
ちなみに写真の新琴似小学校は新琴似神社の向かいに建っており、新琴似神社の開基と同じ明治20年の開校となります。
新琴似神社のご由緒
新琴似神社は明治20(1887)年、新琴似兵村の開村直後に兵村の守護神として中隊本部のそばに祠を建て、現在のご祭神である三柱の神様をお祀りしたことにはじまります。
明治30(1897)年には兵村の被服庫の払い下げを受けて仮遥拝所ができたり、屯田兵の第一陣が新琴似に到着した日である5月20日が春の例祭の日となっているなど、新琴似兵村とのゆかりが深い神社です。
近年では、昭和40(1965)年に80周年事業として社殿や社務所の改築を行って以降、20年ごとに境内施設の整備が行われているようです。
新琴似神社のご祭神
天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)
「天照=天を照らす」との名前の通り太陽の神として、高天原(天上世界)の頂点に立つのが天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)です。
全ての神社の上に立つ伊勢神宮に祀られる「日本国民の総氏神」であり、様々なご利益があるとされています。
豊受大神(とようけのおおかみ)
豊受大神(とようけのおおかみ)は食物や穀物の神です。特に天照皇大御神の食事を調達する役目を果たしているとして、伊勢神宮の外宮に祀られています。
食物や穀物をつかさどる点から農業、さらには産業の守護神とされており、未開の原野を開拓する屯田兵村に祀られるにふさわしい神様といえるでしょう。
神武天皇(じんむてんのう)
神武天皇ははじめ九州を治めていましたが、やがて兄や子と共に東征を開始、数々の苦難を乗り越えて現在の奈良県に至り、初代天皇として即位したとされています。
その東征の逸話から勝利や開運・事始など、また神話では127歳(日本書紀による)の長寿を保ったとされることから健康・長寿などにご利益があるといわれています。
新琴似神社の境内
新琴似屯田兵中隊本部
各地の屯田兵村には中隊本部が建てられ村役場のような役割を果たしていました。しかし、全37兵村のうち中隊本部が現存するのは、この新琴似兵村と野幌兵村(江別市)の2か所のみです。
新琴似神社の境内に残る中隊本部は、屯田兵の時代を偲ぶ貴重な建物として、札幌市の文化財に指定されています。
中隊本部は内部の見学も可能で、明治時代の洋風建築の雰囲気を味わいながら、屯田兵や新琴似に関する資料を見ることができます。
開拓の歴史を語る石碑群
新琴似兵村の中心地だった新琴似神社の境内には、地域の歴史にまつわる石碑が数多く建てられています。ここでは、そのうちいくつかの石碑をご紹介します。
新琴似兵村記念碑
高さ5m超と境内の石碑の中でもひときわ目を引くのが、昭和11(1936)年の開村50周年を記念して建てられた「新琴似兵村記念碑」です。
表面の上部には「開拓警備」、その下には漢文で屯田兵制度が始まった経緯や新琴似兵村が開村50周年を迎えたこと、日露戦争の戦死者名などが、裏面には入植した屯田兵の氏名が刻まれています。
百年碑・拓魂碑
「百年碑」と「拓魂碑」は、どちらも新琴似開基百年を記念し昭和61(1986)年に建てられたものです。
「百年碑」は、新琴似を開拓した先人たちを称えるとともに今後の地域の発展を願うもの、「拓魂碑」は先人たちの中でも特に農業組織の歴代の会長を顕彰する石碑となっています。
忠魂碑・殉国英霊之碑
この2つの石碑は、新琴似から日露戦争、日中戦争・太平洋戦争に出征し戦没した屯田兵たちの慰霊碑です。
「忠魂碑」は日露戦争で戦死した新琴似屯田兵を慰霊するため、明治41(1908)年に建てられました。石碑には7名の戦没者の他に、出征した屯田兵の氏名も刻まれています。
「殉国英霊之碑」は日中戦争と太平洋戦争に出征し亡くなった地域の人々を慰霊するために、新琴似開基70年を迎えた昭和31(1956)年に建てられました。
まとめ
新琴似開拓の歴史を今に伝える貴重な神社
現在の新琴似地区は公共施設や住宅が立ち並ぶ市街地となっており、屯田兵村だった頃の面影はありません。
その中でも新琴似神社は、境内に屯田兵中隊本部や地域の歴史に関わる多くの石碑が残っており、モダンな街中にあって開拓時代を偲ばせる貴重なスポットです。
近隣にお立ち寄りの際は、かつての新琴似屯田兵村の姿などを想像しながら、社殿を参拝してみることをおすすめします。