新川開拓の歴史が育んだ、新川皇大神社
札幌市の西区・手稲区と北区の境を流れる新川は、明治19(1886)年、低湿地帯である周辺地域の排水のために作られた運河です。
その右岸、現在の新川地区に入植した人々は、度重なる水害に苦しみながらも開拓に励み、五穀豊穣を願って天照大御神をお祀りしました。
これが、新川皇大神社のはじまりです。
今回は、歴史ある新川皇大神社の魅力を、写真とともにご紹介します。
新川皇大神社のご由緒
新川地区の開拓と神社の創祀
新川皇大神社の鎮座する新川地区は、同名の川の右岸に沿って広がる細長い地区です。
本格的な開拓が始まったのは明治20年代のことで、当時は琴似屯田兵の給与地だった川上側の「牧場」と、新琴似屯田兵村の所有地だった川下側の「部有地」の、2つの集落に分かれていました。
このうち部有地に入植した人々が、明治37(1904)年に新川の河川用地に天照大御神の神標を立て、地域の守護神としてお祀りします。
この木製の神標は、地元の人々から「じじん(地神)さん」と親しみを込めて呼ばれ、新川皇大神社の起源となりました。
地神碑の建立と地域の発展
その後、明治41(1908)年に新琴似屯田兵村から神社用地の寄付があり、天照大御神をはじめとする5神の名を刻んだ五角柱の石造りの地神碑が建立されます。
この地神碑は、地域の信仰の中心となっていきました。
部有地が酪農地帯として発展するにつれて、地神碑も地域の人々によって手厚く整備されていきました。
神主役は氏子が務め、秋の例大祭が行われるなど地域の信仰を集め、大正時代から昭和初期にかけて手水鉢や玉垣の奉納、地神碑の改修が行われています。
戦後の変遷と現在の姿
太平洋戦争後の昭和31(1956)年、新川の拡幅改修工事により、それまでの境内地が買収されることとなり、現在地へ社殿を建立し遷座。
昭和33(1958)年には鳥居も建立され神社としての形が整ったことから、昭和36(1961)年に宗教法人となります。
昭和40年代に入ると、部有地は宅地化が進み、地域は大きく変貌を遂げましたが、新川皇大神社は昭和60(1985)年の新社殿造営をはじめ、平成から令和にかけても境内の整備が進められ、現在では新川地区全体の守り神として親しまれています。
新川皇大神社のご祭神
新川皇大神社には、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、豊受毘賣神(とようけひめのかみ)、品蛇和気命(ほんだわけのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)の5柱の神様がお祀りされています。
天照大御神
日本神話における最高位の女神であり、太陽神として広く信仰されています。
日本国民の総氏神として信仰され、様々なご利益があるとされています。
豊受毘賣神
天照大御神の食事を司る神様であり、食物や穀物の神としても知られています。
農業をはじめとする産業の発展にもご神徳があるとされています。
品蛇和気命
第15代天皇の応神天皇で、「八幡神(やはたのかみ)」として全国の八幡宮に祀られています。
軍神として、必勝祈願のご利益があるとされています。
大己貴命
「大国主神(おおくにぬしのかみ)」とも呼ばれ、日本神話において、地上世界の国造りを行ったとされる神様です。
開拓や国土経営の神として信仰されています。
少彦名命
大那牟遅神の国造りに協力したとされる神様です。
開拓や国土経営の他、医療や酒造りの神としても信仰されています。
その他のご祭神
参考資料には記載がありませんが、公式ホームページや境内の掲示によると、上記5柱の神様に加え、埴安姫命(はにやすひめのみこと)、三宝荒神(さんぽうこうじん)、馬頭大神(ばとうおおかみ)の三柱もご祭神とされています。
埴安姫命
土の神様であり、農業や製陶業、土木業などの守り神として信仰されています。
三宝荒神
火やカマド、転じて台所を守護する、仏教由来の神様です。
馬頭大神
牛馬をはじめとする動物の守り神です。
戦後まもなく建立された同名の石碑(境内に現存、詳しくは後述)にお祀りされています。
新川皇大神社の境内
社殿
新川皇大神社の現在の社殿は2代目のもので、昭和60(1985)年に建立されたものです。
新川皇大神社の起源は、天照大御神の名を記した標木でした。
その後も長らく、石造の地神碑が地域の守り神として崇められ、祠や社殿は建てられませんでした。
昭和15(1940)年の地神碑改修の際、社殿を建立してはどうかとの意見もありましたが、地神信仰に社殿はふさわしくないとの考えから、この案は見送られました。
そのため、新川皇大神社が社殿を持つようになったのは、現在の地に遷座した昭和31(1956)年以降のことです。
石碑群
社殿向かって左手には、新川皇大神社や地域の歴史にゆかりのある石碑がいくつか並んでいます。
地神碑
新川皇大神社のルーツとも言える地神碑は、明治41(1908)年に建立されました。
しかし、昭和31(1956)年の現在地への遷座の際に旧社殿の下に埋められてしまい、その後、昭和60(1985)年の際に捜索されたものの発見には至りませんでした。
現在の境内に建つ地神碑は、平成元(1989)年に復元されたものです。
なお、復元されたのは石碑の本体部分のみで、台座の他、大正時代に奉納された手水鉢や玉垣は、当時のものがそのまま残されています。
中座には発起人の氏名が。このうち7名が中心となり地神碑が建立されたと伝わります。
また、下の台座には、昭和15(1940)年の改修工事に寄進した人々の名が刻まれています。
地神碑の復元にあたっては、新川の牧場地区の地神碑(現在は琴似神社に移設)が参考とされました。
こちらの地神碑は偶然にも、新川皇大神社の起源となった部有地地区の地神碑と同じ年に建立されたものです。
馬頭大神碑
かつて農耕においてなくてはならない存在であった馬や牛。
その働きに感謝し、霊を鎮めるために、馬を飼っていた部有地の農家が中心となり昭和24(1949)年に建立されたのが、この馬頭大神碑です。
昭和31(1956)年の神社移転に伴い、この碑も合わせて移設され、平成元年に改修が行われました。現在では、牛馬に限らず、動物やペットの守り神として崇められ、毎年例祭が営まれています。
また、近年では、この馬頭大神碑の存在から、新川皇大神社はペットと一緒に参拝できる神社として注目を集めています。
牧場地区にも建てられていた馬頭大神碑。
こちらは牧場に建てられていた地神碑と同様に、現在は琴似神社へ移設されています。
境内に建つ、もう一つの馬頭大神碑。
こちらは平成に建立された、比較的新しいものです。
裏書によると、個人の方が立てた石碑を、近年になって新川皇大神社の境内に移設したとのことです。
地域の歴史を刻み続ける新川皇大神社
新川皇大神社は、水害に苦しみながらもこの地に根付き懸命に開拓に励んだ人々の、豊かな実りに対する願いに始まった神社です。
明治時代に建立された地神碑の台座から、近年になって奉納された鳥居まで、境内には明治の開拓期から住宅地となった現代に至るまでの地域の歴史が刻まれています。
新川皇大神社を訪れる際には、そんな歴史に思いを馳せながら参拝してみてはいかがでしょうか。
アクセス
アクセス;北海道中央バス「新川3条13丁目」停留所から徒歩2分、同「西陵橋」停留所から徒歩2分
社務受付時間;9:00 ~ 17:00
公式HP;新川皇大神社公式サイト
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参考文献
「さっぽろ文庫39 札幌の寺社」(札幌市教育委員会 編/1986年)
「新川開基百年史」(新川開基百年記念協賛会 編/1990年)
「新川皇大神社御鎮座百年記念誌」(新川皇大神社御鎮座百年記念事業実行委員会 編/2005年)