鳥居があるけどお寺?歓楽街近くの不思議スポット
仏閣と神社が合体したハイブリッドなお寺

札幌市中央区の「豊川稲荷札幌別院・玉宝禅寺(ぎょくほうぜんじ)祖院」は、東京以北最大の歓楽街と言われている「すすきの」エリアに隣接する曹洞宗のお寺です。
今回は、お寺なのに「稲荷」と呼ばれ、さらに鳥居もある、一見すると神社のようにも見える不思議な豊川稲荷札幌別院・玉宝禅寺祖院についてご紹介します。
”お稲荷さん”といっても色々ある

お稲荷さんといえば”狛狐のいる神社”というイメージがありますが、豊川稲荷は正式には愛知県の「妙厳寺 豊川稲荷」を本院とするお寺であり、今回ご紹介する「豊川稲荷札幌別院・玉宝禅寺祖院」は、その名のとおり北海道における豊川稲荷の別院となります。
諸説あるものの、一般的に「日本3大稲荷」と言われている京都府の「伏見稲荷大社」、茨城県の「笠間稲荷神社」、愛知県の「豊川稲荷」のうち、前の2つが神社で、3つめの豊川稲荷は寺院です。
伏見稲荷大社公式サイト 笠間稲荷神社公式サイト 豊川稲荷公式サイト
豊川稲荷札幌別院には伏見稲荷大社を彷彿とさせる朱色の連続鳥居があります。さすがにこれは本院にはありませんが、そこはおおらかな北海道ということで・・・。


稲荷といえば狛犬もとい狛狐。狛狐は本家の豊川稲荷本院にもあります。札幌別院の狛狐達も大鳥居の下で眼光鋭く境内を守っています。
神仏習合と神仏分離のはざまで

神道と仏教の入り混じった感のある豊川稲荷札幌別院・玉宝禅寺祖院ですが、実はこれは日本の歴史においては珍しいことではなく、古来より寺院に鳥居を設置したり、神前で読経したりなど、神仏を同一視するような祭祀が営まれてきました。
これを神仏習合といいますが、日本人が諸外国に比べて宗教に対して寛容なのも、こういった伝統的な慣習が反映されているのかもしれません。
しかし明治時代に入ってからは神道を国教と定め、以後は神社と寺院の分離が進んでゆきます。そんな時代のはざまにあって、地域社会の中で重要な存在となっていた豊川稲荷は特別に神仏分離を免除され、今に至るようです。



クリスマスにキリスト降誕を祝い、大晦日に除夜の鐘を聞いて煩悩を払って、元旦に初詣で今年の願掛けをする・・・なんて宗教に寛容な国は、世界広しといえども日本くらいかもしれませんね。
豊川稲荷札幌別院 玉宝禅寺祖院の沿革
創建の経緯

豊川稲荷札幌別院・玉宝禅寺祖院が現在地に創建されたのは、明治31(1898)年です。
5代目住職の著書によると、明治27(1894)年に近隣の酒造業主が、すすきの地区の守護神として愛知県の豊川稲荷の分霊をこの地に招くことを提案したことが創建のきっかけだそうです。
この提案に応じて、すすきのの料亭や見番(芸妓の登録・派遣を行う組織)などが発起人となり、すすきの花柳界を中心に募金を募って本堂が建立されました。
なお、境内には明治16(1883)年奉納の手洗い鉢があったそうなので、この地には創建以前から祠のようなものがあったのかもしれません。
豊川稲荷は愛知県の本院のほか、北海道(当記事の札幌別院)、東京都、神奈川県、大阪府、福岡県に別院があります。
妙厳寺豊川稲荷公式サイト
創建後~現在まで

豊川稲荷札幌別院は創建後、すすきのの人々の尊崇を集めていきます。その大祭は近隣の中央寺・成田山新栄寺のものとあわせて「すすきの三大祭」として知られるようになり、大正9(1920)年に薄野遊郭が白石地区に移転する頃までは大変な賑わいだったといいます。
戦前までは、近所の子供達に読み書きそろばんを教えたり、日本画の講座を開講したり、また正月にはカルタ会が催されたりと、地域の集会所のような役割も果たしていたようです。
その後、昭和59(1984)年に札幌市清田区に本院となる新寺が建てられたことに伴い、中央区の豊川稲荷札幌別院は玉宝禅寺祖院と呼ばれるようになり、現在に至っています。


寺号標とは別に三角柱形の看板が立てられています。向かって左面には朱文字で「豊川稲荷別院」、右面には紫色で「玉宝寺祖院」と記されていて、この寺院の性格をよく表していると思います。
豊川稲荷札幌別院 玉宝禅寺祖院の境内
本堂

豊川稲荷札幌別院には、本寺である愛知県の豊川稲荷と同じく「吒枳尼眞天(だきにしんてん)」が祀られています。吒枳尼眞天は仏教の神様ですが、神道のお稲荷様と同一視されているため、本堂にも狛狐がずらりと並んでいます。
それにしてもお酒がたくさん奉納されたきらびやかな祭壇は、いかにも”すすきの歓楽街の守り神”といった雰囲気ですね。
本堂の見どころは天井絵の「十二支絵文様図」です。円の中には十二支が描かれています。

薄野娼妓並水子哀悼碑

すすきのの歴史は明治4(1871)年、開拓労働者の足止め策として北海道開拓使により遊郭が設置されたことに始まります。当時の遊郭の女性たちはその出自から無縁仏となる者が多く、また、遊郭という特性から水子も少なくなかったそうです。
これらの女性達や水子の霊を慰める目的で昭和51(1976)年に建てられたのが、この「薄野娼妓並水子哀悼碑」です。なお、このような歴史的背景もあってか、玉宝寺は水子供養のお寺としても知られています。
三岸好太郎生誕の地

大正時代から昭和初期にかけて活躍した札幌出身の洋画家・三岸好太郎は、豊川稲荷札幌別院と同じ町内(札幌市中央区南7条西4丁目)で生まれました。
そのため、豊川稲荷札幌別院の寺号標の横に、三岸幸太郎の生誕地であることを示す看板が建てられています。
札幌市内には彼の作品を展示する「北海道立三岸好太郎美術館」もありますので、足を伸ばしてみるのもいいかもしれませんね。
北日本随一の歓楽街"すすきの"の守り神

豊川稲荷札幌別院・玉宝禅寺祖院は創建時からすすきの歓楽街と関わりが深いお寺です。昔はすすきの花柳界の女性たちがお百度参りをするなど「すすきの歓楽街の守り神」として信仰を集めてきました。
夜のネオンに照らされながら、豊川稲荷札幌別院・玉宝禅寺祖院はこれからもすすきのの街を見守っていくことでしょう。

コロナ前のすすきの交差点。平日の夜にもかかわらず通りはたくさんの人出で賑わっています。コロナショックから立ち直って、かつての勢いを回復できる日が来ることを祈っております。
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