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広告 公園・散策路

前田公園(札幌市手稲区)

前田公園と地域に刻まれた記憶の継承

前田公園のサイロのある風景

手稲区の前田地区にある前田公園。

手稲本町と石狩市花畔を結ぶ道道44号石狩手稲線に面したこの公園は、一見するとどこにでもある地域の公園のようですが、「前田」という地名の由来ともなった前田農場の歴史が、今も残る特別な場所です。

公園に刻まれた地名の起源、今も残る歴史の遺構、そして縄文時代にまで遡る人々の痕跡―その重なりをたどりながら、前田公園の様子をご紹介します。

前田公園へ:歴史の痕跡が残る地区公園

前田公園のパーゴラと桜

約3.8haの広さを有する前田公園は、市内に点在する地区公園の一つとして、前田地区の住民に親しまれてきました。

昭和62(1987)年、住宅団地の造成に伴い整備された比較的新しい公園であり、遊具や芝生広場、野球場などを備えた、一見ごく標準的な公園に見えます。

しかし、園内にたたずむレンガ造りのサイロが、この場所の来歴をそっと物語っています。

前田という地名のルーツ:旧加賀藩主が拓いた近代農場

明治の北海道に誕生した先進農場

北海道物産共進会で名誉金牌を受けた前田農場の牡牛
北海道物産共進会で名誉金牌を受けた前田農場の牡牛
(北海道大学付属図書館蔵)

「前田」という地名の起源は、明治時代までさかのぼります。

明治27(1894)年、旧加賀藩主・前田家の15代当主である前田利嗣が、士族の授産と家計の立て直し、富国強兵への貢献を目的として、茨戸に「前田農場」を開設。その2年後には現在の前田地区に軽川支場を設けました。

欧米の近代的大農場を模範とし、自作と小作を併用する先進的な経営が特徴でしたが、茨戸の本場が頻繁に洪水の被害を受けたため、明治39(1906)年に本場を軽川支場へ移転することとなります。

以後、水害に強い酪農へと注力し、純血種の乳牛の輸入やバター製造などを開始。明治41(1908)年頃には総面積約2,000haに及ぶ大農場へと発展を遂げました。

こうした先進的な取り組みは広く知られることになり、明治44(1911)年には北海道を訪れた皇太子(後の大正天皇)が農場を視察されるまでになりました。

東宮駐輦記碑

前田公園の東宮駐輦記碑

皇太子の行啓を記念し、農場事務所の庭に建てられた石碑です。
農場の解体後も個人宅で大切に保存されていましたが、平成25(2013)年に前田公園内へと移設され、地域の歴史を今に伝えています。

農場の終焉から現代の街づくりへ

明治末期頃の前田農場の放牧場(北海道大学付属図書館蔵)
明治末期頃、前田農場の放牧場(北海道大学付属図書館蔵)

1920年代の不況や災害により、前田農場は事業を林業へ一元化し、農地を開放する経営転換を余儀なくされました。

昭和7(1932)年から10年計画で小作人へ土地を売却し、51世帯が自作農として独立。
これは戦後の農地改革に先駆けた取り組みとして、地域史に深く刻まれる出来事です。

昭和17(1942)年には農場名にちなんで「前田」が正式な地名となり、戦後の農地改革を経て、約50年にわたる農場の歴史はその幕を閉じました。

自作農となった人々は戦後も酪農を続け、昭和30(1955)年頃には手稲全体で1,300頭以上の乳牛が飼育されていました。

しかしその後、急速な都市化にともなって広大な農地は住宅地や商業地へと姿を変え、今では手稲区の中心として目覚ましい発展を遂げています。

その中で前田公園に佇むサイロは往時の酪農地帯の記憶を今も静かに伝える貴重なランドマークとなっています。

前田公園のサイロ

前田公園のサイロ

前田農場の遺構と思われがちですが、実は農地解放で農場から独立した自作農が昭和30(1955)年に建てたものです。
一帯が酪農地帯だった頃の面影を残す、前田公園のシンボルとなっています。

前田公園を散策する:四季折々の自然と充実した施設

前田公園のスキー山から園内を望む
前田公園のスキー山から園内を望む

園内にはブランコや複合遊具を備えたエリアをはじめ、野球場や多目的広場(グラウンド)が整備されており、子どもの遊び場からスポーツまで幅広いニーズに対応しています。

夏には水遊びができる噴水、冬にはソリ滑りやスキーを楽しめるスキー山も設けられ、年間を通じて地域の人々に親しまれています。

この日はちょうど桜の見頃で、レジャーシートを広げてお花見を楽しむ家族連れの姿も見られました。

前田公園の築山

藤棚や日本庭園風の築山、屋根付きのベンチもあり、のんびりと散策を楽しむのにも最適な公園です。

なお、徒歩圏内の住民を主な対象とした地区公園ですが、駐車場も完備されているため、少し離れた地域から足を延ばすことも可能です。

手稲山をかたどった園名板

手稲山を模した前田公園の園名板

手稲山を模した園名板は、その高さも山の標高に合わせた1,023mm。
前田農場は明治期の乱伐や山火事で荒廃していた手稲山で造林を進め、現在の豊かな森林景観の一端を担うこととなりました。

公園の東半分は縄文時代の遺跡

前田公園のスキー山

芝生広場やスキー山が広がる東側一帯は「N295遺跡」と呼ばれ、縄文時代中期から続縄文時代の遺物が出土しています。
園内には解説板も設置されており、古代から紡がれてきた人々の営みを今に伝えています。

幾層もの歴史が息づく前田公園を訪ねて

前田公園のサイロと桜

縄文遺跡の上に先進的農場が拓かれ、現代の住宅地へと至る―幾層もの歴史が積み重なった場所に位置する前田公園。

人々が集う園内には、往時の姿を伝えるサイロや皇太子行啓の石碑が今も静かに佇み、この地域の記憶が日常に溶け込んでいます。

歴史を辿る散策の起点として、先人たちの残した歩みに思いを馳せながら、一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

アクセス

アクセス:JRバス・中央バス「前田8条10丁目」停留所よりすぐ
公式HP:前田公園公式サイト

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参考文献
「手稲町誌」(蓑輪早三郎 編/1968年)

「知られざる手稲と加賀百万石」(東宮駐輦記碑移設委員会/2013年)
「郷土史ていね 第138号」(手稲郷土史研究会/2019年)
札幌市手稲区役所ホームページ


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  • この記事を書いた人

福島智美

札幌生まれの札幌育ち。かつて文学研究者を志し博士号前期課程を経て北海道博物館で学芸員実習を修了した才女。趣味は和装とフィギュアスケート観戦。

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