「札幌の奥座敷」定山渓温泉の小さなお堂
札幌市内中心部から路線バスで約1時間ほどの山間に位置する定山渓温泉。
その温泉街の坂を登った先にある小さなお堂が岩戸観音堂です。
今回は、道路工事の犠牲者の慰霊と定山渓温泉の発展を願い建立されたという岩戸観音堂を訪ねました。
岩戸観音堂の沿革
岩戸観音堂は昭和11(1936)年、その数年前に完成した定山渓と小樽を結ぶ道路(現在の道道1号小樽定山渓線)の工事で犠牲となった人々の慰霊と、定山渓の発展を願い作られました。
道道1号小樽定山渓線は、定山渓から朝里峠を経て小樽市朝里に抜ける道です。
昭和初期の開通当時から多少ルートが変わっているものの、現在でも冬季の夜間は通行止めになる峠道で、道路開削当時の苦労がしのばれます。
岩戸観音堂の観音様の中には、奉納者として「小樽定山渓自動車道株式会社」と刻まれたものもあります。
発願者は、この道路工事を推進した二代目・地崎宇三郎で、彼はかつて全国でも名が知られた建設会社「地崎工業(旧名・地崎組)」の二代目社長にあたります。
地崎組の名前は、札幌市内の神社の鳥居や社号標などでも見ることができます。
写真は昭和5(1930)年に建てられた三吉神社の社号標の裏面で、下部に「地崎(組)」の文字が読み取れます。
お堂の奥に続く全長120mの洞窟には、様々なご利益を持つ33体の観音像が置かれており、現在でも定山渓の温泉街を訪ねた観光客が訪れては手を合わせています。
岩戸観音堂のようす
岩戸観音堂のお堂
現在のお堂は昭和42(1967)年に再建されたもので、内部は無料で拝観できます(洞窟内の拝観は有料)。
左右の天井に下げられている赤い提灯には、かつて定山渓の温泉街を彩っていた芸者さんの名前が記されており、往年の定山渓の賑わいを彷彿とさせます。
ちなみに写真右奥にある扉が、観音像の並ぶ洞窟への入口となっています。
また、お堂の入口右手には小部屋があり、ここでは岩戸観音堂の沿革の説明パネルや地崎宇三郎(初代)の像、昔の定山渓温泉の写真などが展示されています。
岩戸観音堂の洞窟
33体の観音像が安置された洞窟の拝観は有料となっていて、お堂の入口右手に置かれた箱に拝観料を入れて洞窟内に入るようになっています。
この日は気温は氷点下で風も強く厳しい寒さでしたが、洞窟内は暖かくゆっくり拝観できました。夏は逆に涼しくて快適かもしれませんね。
三十三観音とは?
岩戸観音堂に安置されている三十三観音は、「観音は全ての人々を救うために、相手に応じて三十三の姿に変身する」という仏教の教えから派生して、江戸時代の庶民の間で信仰された33体の観音様です。
その多くは仏教の経典には出てこず、民話や説話に起源を持つものもあるそうです。
発祥の地もインドや中国、日本と様々で、大衆の暮らしに根付いた様々な願いから生まれた「庶民派の観音様」ともいえます。
岩戸観音堂の観音像
ここでは岩戸観音堂の洞窟に安置された観音様を、いくつか紹介します。
1番・楊柳観音
柳の枝を持ち、その枝のようにしなやかに人々の願いに沿うとされる観音様です。
古来、柳は魔除けの力があるとされていることから、楊柳観音は柳の枝で病を祓うといわれています。
10番・魚籃観音
中国の説話が発祥の、魚の入った籠を手に持った珍しい姿の観音様です。
海上交通や漁業の守り神、また、女性の観音様であることから女性の煩悩を取り除くともいわれています。
18番・岩戸観音
お堂の名称にもなっている岩戸観音(写真右側)です。
ここ岩戸観音堂では、ひときわ大きな空間に釈迦如来(写真中央)と馬頭観音(写真左側)と共に祀られており、三十三観音の中核を担っています。
岩戸観音堂を訪ねてみよう
定山渓温泉を訪れた多くの人々が手を合わせる岩戸観音堂ですが、その奥にある洞窟まで見学する方は少ないのではないでしょうか。
洞窟には30体を超える観音様が祀られており、その中にはあなたの願いを叶えてくれる観音様もいらっしゃることでしょう。
定山渓に足をのばした際は、岩戸観音堂と洞窟の観音様にお参りしてみてはいかがでしょうか?