当サイトはアドセンス広告およびアフィリエイト広告を利用しています。

神社仏閣

花岡神社(札幌市南区)

2024年2月26日

小高い丘の上に佇む簾舞の鎮守・花岡神社

花岡神社の参道と本殿

明治初期に、札幌から定山渓を経由して有珠へ抜ける本願寺道路の通行屋が置かれたことに始まり、農村として栄えた簾舞地区。

その鎮守神として、地域の人々の信仰を集めてきたのが花岡神社です。

簾舞開拓の歴史と共に歩んできた花岡神社は、豊かな自然に囲まれ、地域住民の心の拠り所として親しまれています。

この記事では、簾舞の歴史を今に伝える花岡神社の魅力をご紹介します。

花岡神社のエゾリス
参拝に訪れると、エゾリスがお出迎え

花岡神社のご由緒

花岡神社の創始

旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)
花岡神社の近隣に現存する旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)

簾舞地区の開拓は、明治5(1872)年に本願寺道路の通行屋が置かれたことに始まります。

その管理人として移住した黒岩清五郎とその一家が、明治15(1882)年に故郷の氏神を祀ったのが、花岡神社の源流と推測されています。

花岡神社の境内

明治20年代になると札幌農学校(現在の北海道大学)が第4農場を開設、その小作人が入植し簾舞の開拓が本格化しました。

明治30年代初め頃の簾舞は、46戸252人が住む集落となり、明治35(1902)年、住民たちの寄進により「八幡神社」として現在地に社殿が造営されました。

これが花岡神社の創始です。

公認神社となる

花岡神社の狛犬
札幌軟石の産地・石山地区にほど近いからか、境内の灯篭や狛犬は軟石製

開拓が一段落した明治45(1912)年頃、八幡神社について公認神社の創立許可を得ようという気運が高まりました。

手続き書類の不備など様々な困難を乗り越え、「花岡神社」として公認神社(無格社)となったのは大正4(1915)年のことです。

その後、大正15(1926)年には簾舞開村50年記念事業の一環として社殿が改築されるなど、花岡神社は地域の発展と共に境内が整備されていきました。

戦後の花岡神社

花岡神社と簾舞花岡公園

戦後は宗教法人となり、地域住民の手で運営されてきた花岡神社ですが、昭和45(1970)年、神社の敷地が国有地にあたることが判明しました。

末永く神社を維持するため、花岡神社では敷地の一部を国から購入し、残りは児童公園とするよう札幌市に依頼しました。

こうして神社に隣接する簾舞花岡公園が作られ、花岡神社は現在の姿となりました。

簾舞花岡公園の国有財産管理用地の看板
簾舞花岡公園には、国有地であることを物語る看板が立っている

今も毎年9月中旬には、簾舞の人々によって例祭が行われ、花岡神社は簾舞の歴史を今に伝える貴重な存在として、地域住民に親しまれています。

花岡神社のご祭神

現在のご祭神

花岡神社のご祭神は、大己貴神(おおなむちのかみ)、応神天皇(おうじんてんのう)、大山祇神(おおやまつみのかみ)の三柱です。

花岡神社の社殿

大己貴神

地上世界の国造りを行った神様で、開拓の神として信仰されています。
また、医薬や縁結びの神様としても知られています。

応神天皇

第15代天皇で、八幡神として全国の八幡宮に祀られている神様です。
中世の頃から軍神として信仰され、その経緯から戦勝祈願のご利益があるとされています。

大山祇神

その名の通り、山の神様です。
山に囲まれ、かつて林業が盛んだった簾舞の地に祀られるにふさわしい神様ではないでしょうか。

花岡神社のご祭神の変遷

花岡神社の扁額

花岡神社の現在のご祭神は上記の3柱ですが、時代や資料によって変化が見られます。

 ①社殿造営時(明治35年):天照大神・八幡大神・大山祇神

 ②『簾舞沿革史考』(大正4年):大己貴神・応神天皇・大山祇神・明治天皇

 ③『さっぽろ文庫39巻』(昭和61年):大己貴神・応神天皇・大山祇神

ご祭神が変更となった経緯は不明ですが、大正4年の変更については、公認神社と認められた時期と重なるため、その手続きの関係で変更になったのかもしれません。

花岡神社の境内

ここでは、花岡神社の境内に点在する、神社と簾舞の歴史を語る様々な見どころを紹介します。

社殿

花岡神社の社殿

花岡神社の社殿は、昭和43(1968)年に北海道開基100年を記念して改築されたもので、社殿としては3代目にあたります。

社殿の鈴と鈴の緒は令和5(2023)年に神社の役員一同により贈呈されたものだそうで、花岡神社が今も地元の方々によって大切に管理されていることが伝わってきます。

簾舞花岡公園

簾舞花岡公園

簾舞花岡公園は、花岡神社に隣接する児童公園です。

この公園は、神社の敷地が国有地だったと判明したことをきっかけに、境内の一部を公園用地として昭和50(1975)年に作られました。

参拝した時、子供たちの姿はありませんでしたが、参道のすぐ隣に滑り台などの遊具が並んでいました。

花岡神社の石碑

花岡神社の境内には、地区の歴史を語る石碑がいくつか建立されています。

成墾記念碑

成墾記念碑(簾舞)

明治42(1909)年、札幌農学校(現在の北海道大学)第4農場の開拓が達成されたことを記念して建てられた石碑です。

札幌農学校が明治21(1888)年に簾舞に開設した第4農場では、小作人による集団開拓が行われ、北海道の指導的模範農場の一つとなりました。

この石碑が建てられた際には、農学校の職員も祝賀会に招かれたとのことで、小作人と農学校との関係も良好だった様子が伺えます。

記念碑(簾舞開村50年/北大第4農場開設35年)

記念碑(簾舞開村50年)

簾舞の開村50年と北大第4農場の開設35年を記念し、大正15(1926)年に建てられた記念碑です。

この年には他にも記念事業として、花岡神社の社殿の改築なども行われました。

表に「記念」とだけ刻まれたシンプルな石碑ですが、様々な思いが込められているのではないでしょうか。

開基百年記念塔

開基100年記念塔(簾舞)

通行屋家守・黒岩清五郎一家が初めて簾舞に入植して100年になるのを記念し、昭和46(1971)年に開基100年記念事業が行われました。

その一環として建てられたのが、この記念塔です。

神居古潭石で作られた石碑が建つ台座は、子供たちが自由に登って石碑に触れることができるように低く作られています。

山神碑

花岡神社の山神碑

開村50年の記念碑の横に置かれた小さな石碑で、表面に「山神」と刻まれています。

平成11(1999)年に空沢(豊平川支流の空沢川沿い)の山中から発見されたもので、明治末期に付近の入植者が建立したものだそうです。

かつての簾舞は林業が盛んで、冬の農閑期に木材の伐り出しが行われていたので、その作業の安全を祈って建てられたのかもしれません。

簾舞の歴史を今に伝える花岡神社

花岡神社の社号標と参道の階段

札幌市南区簾舞の小高い丘の上にある花岡神社は、地区の開拓と発展を見守り続けてきた神社です。

小さな神社ですが、簾舞の歴史を伝える石碑が並び、今も地元の人々の手で大切に管理されていることが伝わります。

近隣には札幌市の有形文化財に指定されている旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)もあり、花岡神社とあわせて訪ねると、簾舞の歴史や文化に触れることができるでしょう。

ぜひ一度、花岡神社へ足を運んでみてください。

アクセス

アクセス;じょうてつバス(7、快速7、快速7(H/J)、快速8、快速8J、12、12J)「簾舞」停留所から徒歩4分、じょうてつバス(12(J))「簾舞小学校」停留所から徒歩3分
拝観時間;特になし
公式HP;花岡神社(北海道神社庁HP)

PR]「札幌開拓の魂に触れる。秘められた物語があなたを待つ史跡巡り」

こちらもおすすめ

参考文献
「沿革史みすまい-開基百年記念簾舞沿革史-」(簾舞町内会連合会/1968年)

「郷土誌 みすまい」(簾舞開基百十年記念事業実行委員会/1984年)
「さっぽろ文庫39 札幌の寺社」(札幌市教育委員会 編/1986年)
「さっぽろ文庫45 札幌の碑」(札幌市教育委員会 編/1988年)
「新札幌市史 第3巻 通史3」(札幌市教育委員会 編/1994年)

  • この記事を書いた人

福島智美

札幌生まれ、札幌育ちの文学修士。学術からビジネス実務の道へ転身し、山口と共に起業する。学芸員資格者でもあり、北海道博物館での実習経験もある。本サイトでは史跡や寺社などを担当。趣味は和装とフィギュアスケート観戦。

-神社仏閣
-