北海道の農業・畜産の祖、エドウィン・ダンの記念館
明治時代の初期に北海道の開拓に尽力したお雇い外国人、エドウィン・ダン。彼の功績を伝える記念館が、札幌市南区の真駒内にあります。
ダンにゆかりのある真駒内種畜場の事務所だった建物を移築した「エドウィン・ダン記念館」で、北海道の農業や畜産業の発展に大きく貢献した彼の足跡をたどりました。
エドウィン・ダンの略歴
1848年にアメリカ・オハイオ州の牧畜家の家に生まれたエドウィン・ダンは、20代半ばだった明治6(1873)年、北海道開拓使に招かれ農業・畜産業の指導を行うお雇い外国人として来日しました。
アメリカで牧場を経営していたダンをスカウトしたのは、開拓使顧問だったホーレス・ケプロンの息子でした。
彼による「ダンは誠実で忍耐強い」という推薦の言葉が、今に伝わっています(写真は大通公園のケプロン像)。
ダンは北海道の地に西洋式の農業や牧場経営を広めるべく、家畜・農作物や近代的農具の導入とその普及、乳製品や加工肉の製造技術の指導など、精力的に活動しました。
これらの仕事の中でも、ダン自らが建設の中心的役割を果たした開拓使の真駒内牧牛場の運営には、力を入れて取り組んでいたようです。
約10年に渡るダンの指導の結果、北海道は後に日本を代表する農業・酪農地帯へと成長する基礎を築くことができました。
ダンは明治16(1883)年に帰国したものの、翌年には外交官として再来日。日清戦争の終結に尽力したほか、退官後は新潟県で石油事業を行うなど、日本の発展に貢献しました。
そして日本に永住したダンは、昭和6(1931年)に東京で亡くなりました。
エドウィン・ダン記念館が誕生するまで
明治初期にダンが中心となって作られた真駒内牧牛場は、時代の流れと共に、真駒内種畜場・北海道庁種畜場・北海道農業試験場畜産部とその名称を変えつつも、北海道の畜産業発展の拠点であり続けました。
しかし、太平洋戦争後、真駒内はアメリカの進駐軍に接収され、基地が作られることになりました。そのため、農業試験場畜産部は移転を余儀なくされました。
その後、昭和30年代に入ると基地は日本へ返還され、真駒内は住宅地として整備されることになりました。
このとき、ダンゆかりの地である真駒内の一角に、その功績を伝える施設を残そうという動きが起こります。
その流れを受け、真駒内種畜場の事務所を現在地に移築し、昭和39(1964)年にエドウィン・ダン記念館が開館しました。
エドウィン・ダン記念館の建築様式とその特徴
エドウィン・ダン記念館は、明治20(1887)年に真駒内種畜場の事務所として建てられた洋風建築です。
建築当初は現在地より1.5Kmほど北に位置していましたが、記念館の開館にあたり真駒内中央公園(現在のエドウィン・ダン記念公園)に移築されました。
建物は国の登録有形文化財となっているほか、北海道の近代農業や食品加工業などの発展を物語る遺産として、サッポロビール博物館などと共に国の近代化産業遺産に認定されています。
玄関やその上部の屋根窓、側面の出窓や裏面のベランダなどが、エドウィン・ダン記念館の建物の特徴です。
壁は札幌市時計台などと同じ、下見板張りという手法が使われています。
玄関の屋根は神社などでもみられる切妻造です。
そのせいか全体的に洋風な記念館の建物の中にあっても、どことなく和風な印象を受けます。
玄関の屋根とは対照的に、建物裏手のベランダはいかにも洋風といった雰囲気。
ベランダは室内を挟んだ向こう側にも設置されています。
エドウィン・ダン記念館の展示内容
エドウィン・ダン記念館の館内には、ダンの遺品や写真、その生涯を辿る絵画などが展示されています。
ダンの生涯と功績を辿る20点以上の油絵は、北海道出身の洋画家・一木万寿三によるものです。
一つひとつに詳しい説明が添えられており、絵本や紙芝居のような趣きがあります。
記念館の最も奥の部屋には真駒内種畜場の模型が展示されています。
窓の外を見ると、部屋の両サイドにベランダがあることが確認できます。
記念館は公園内に立地しているため、窓からの景色もよく、洋風レトロな雰囲気が漂う室内の雰囲気を楽しむのもおすすめです。
エドウィン・ダン像
記念館のすぐそばにあるダンの銅像は、彼の功績を称えるために、記念館の開館に合わせて制作されたものです。
長靴履きに子羊と農具を肩に背負った農作業中の姿を模した銅像は、実務家としてのダンをよく表す作品となっており、地元の人々からも親しまれています。
ダン像の作者は彫刻家の峯孝で、大通公園にある「牧童」や「奉仕の道」も彼の作品の一つです。
まとめ
エドウィン・ダンは北海道ゆかりのお雇い外国人の中でも、クラークやケプロンに比べると知名度が低いかもしれません。
ですが、開国から間もない明治初期に日本人女性と国際結婚し、一度帰国するも再来日して日本に永住したその人生は、多くの日本人の心に響くものがあるのではないでしょうか。
ダンゆかりの地である真駒内で育った者の一人として、エドウィン・ダンの名と彼の功績がより広く知られるようにと願ってやみません。