北海道総鎮守・北海道神宮の末社
北海道神宮頓宮(とんぐう)、は北海道神宮の末社(まっしゃ)です。
明治初期に作られた北海道神宮の遥拝所がその始まりで、本社よりも市街中心部に近い立地や建立の経緯から、古くより札幌市民とのつながりが深い神社です。
また、境内には札幌市内最古の狛犬があり、北海道神宮頓宮の象徴的存在となっています。
「頓宮」とは?
「頓宮」とは「仮の宮」「一時的な宮」という意味です。
北海道神社頓宮は、毎年6月に行われる北海道神社の例祭の際、市内を練り歩くお神輿が休憩する「御旅所」としての役目を果たしてきました。
北海道神宮頓宮のご由緒
札幌神社の遥拝所として創建
北海道神宮頓宮は明治11(1878)年、現在と同じ場所に札幌神社(現在の北海道神宮)の遥拝所として創建されました。
遥拝所とは、離れたところから神様を拝むための場所のことです。
当時、北海道の開拓はまだ始まったばかりで、交通インフラの整備は十分ではありませんでした。そのため、積雪が増す冬になると、神職者や参詣者が札幌神社へ往来することが困難になりました。
このような事情から、冬季間でも神社の職務や参拝に支障のないよう、札幌市中に遥拝所を設けることになったのです。
頓宮の北側の道をまっすぐ西に4.5kmほど進むと、北海道神宮の裏参道に出ます(右の写真は国土地理院地図をもとに当社作成)。
北海道の総鎮守たる札幌神社の遥拝所だけに、その建築に当たっては土地や建物が寄付されるなど、市民から多くの協力があったそうです。
こうして作られた遥拝所には市民が参拝に訪れるほか、十数年間にわたり札幌神社の事務を行う場所としても使用されることになりました。
札幌神社頓宮に改称
遥拝所は明治30年代半ばに火災で焼失してしまいますが、明治43(1910)年に新たな社殿が造営されました。また、これを機に、その名称が遥拝所から「頓宮」に改められました。
このころは公共交通機関が未発達だったこともあり、初詣の参拝者は札幌神社より頓宮の方が多かったようで、明治45(1912)年は本社の10倍、大正3(1914)年は本社の2倍の人々が参拝に訪れたとの記録が残っています。
社殿の再建や各種行事の開催にも市民が深く関わっており、市街地に隣接した頓宮と市民とのつながりの深さが感じられます。
札幌神社の分社となる
地域からの要望もあり、昭和22(1947)年には札幌神社からご祭神の分霊を受け、頓宮は札幌神社の末社となりました。
そして昭和39(1964)年には、本社の札幌神社が北海道神宮と名を改めたことに伴い、頓宮も「北海道神宮頓宮」に改称して現在に至っています。
北海道神宮頓宮の境内
社殿
北海道神宮頓宮の現在の社殿は、明治43(1910)年に札幌神社の拝殿の古材の払い下げを受けて作られたものです。
現在の北海道神宮の社殿は昭和53(1978)年に建て替えられたものなので、実は末社である頓宮の社殿の方が70年ほど古く、古材を使用することで創建当時の札幌神社の面影を伝える建物となっています。
狛犬
北海道神宮頓宮には、二対の狛犬が置かれています。
このうち拝殿前の狛犬は明治26(1893)年に作られたもので、札幌市内では最も古く、また、北海道内で作られた狛犬としても早い時期のものであるといわれています。
札幌軟石でつくられたこの狛犬は、阿形(向かって左側)の足元に子獅子が彫られていることから、いつしか子宝や安産にご利益があると広く知られるようになりました。
冬に参拝したところ、子獅子には手編みの防寒具がかぶせられていました。いずれ夏季に再訪して、子獅子の表情を見てみたいですね。
鳥居前の狛犬は平成に入ってから作られたもので、明治生まれの拝殿前の狛犬とは、かなり風貌が異なります。こちらの狛犬は、縁結びにご利益があると言われています。
社務所
社務所の1階には授与所があり、御朱印やお守り・絵馬などを頂くことができます。
授与品は基本的に北海道神宮と共通ですが、狛犬があしらわれた恋愛成就・子宝祈願のお守りや絵馬など、頓宮限定のものも取り扱われています。
再開発が進む創成川イーストの中で
北海道神社頓宮のある創成川の東側の地域は「創成川イースト」と呼ばれ、近年、再開発が進んでいるエリアです。
高層マンションなどの新しい建物が立ち並び、多くの飲食店が開店するなどして、人口も増加傾向にあります。
古くからこの地に鎮座し札幌市民とのつながりも深かった頓宮が、変わりゆく街並みの中でどのような役割を果たしていくのか注目されます。