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神社仏閣

江南神社(札幌市北区)

2024年3月3日

苦難に挑む屯田兵たちの心の支えとなった江南神社

江南神社の第一鳥居と参道

札幌市北区にある屯田地区は、明治時代に篠路兵村として屯田兵によって開拓された地です。

札幌市内にあった4つの屯田兵村のうち最後に開村した篠路兵村は、泥炭地という土地柄に加え、毎年のように水害に見舞われるなど、その環境は他の3つの兵村と比べ厳しいものでした。

そのような苦難に耐えながら開拓に励んだ屯田兵とその家族の心のよりどころとなったのが、入植から2年後に創祀された江南神社です。

本記事では、かつて篠路兵村の中隊本部や練兵場があった地に今も鎮座する江南神社の歴史と魅力について、詳しくご紹介します。

札幌支庁管下案内図(大正8年)の一部

「江南」の名は、かつて石狩川の本流だった茨戸川の南に位置することに由来すると言われています。

神社に隣接する屯田小学校も、かつて幌南小学校という校名でした。

(画像:北海道大学付属図書館蔵)

江南神社のご由緒

屯田兵の入植と江南神社の誕生

明治24年、雪中演習のため集合した札幌周辺の屯田兵
明治24年、雪中演習のため集合した札幌周辺の屯田兵(北海道大学付属図書館蔵)

江南神社は、明治22(1889)年に西日本7県から篠路兵村(現在の屯田地区)に入植した屯田兵第一大隊第四中隊の兵士とその家族、220戸1,000人余りの人々によって創祀されました。

彼らは厳しい開拓生活の中で心の支えを求め、入植から2年後の明治24(1891)年、兵村の中隊本部の北側に祠を建てて三柱の神様をお祀りしました。

これが、江南神社のはじまりです。

篠路兵村の苦難を支えた江南神社

江南神社の社号標

明治29(1896)年には社殿が造営され、翌年には社名を江南神社とし、公認神社となりました(社格は無格社)。

しかし、明治30年代、篠路兵村は度重なる大洪水に見舞われ大きな被害を受け、離村する者も相次ぎました。
残った人々は集落を挙げて灌漑工事を行い、水田開発を進めて村を立て直しました。

これらの困難な時期にも、江南神社は地域の人々の心の拠り所であり続け、明治43(1910)年には村社に昇格しました。

江南神社の発展と地域の変遷

開村30年を記念して奉納された江南神社の狛犬
開村30年を記念して奉納された狛犬

その後、大正8(1919)年に開村から30年を迎えた頃には村の戸数も回復し、石狩川の治水工事も進んだ篠路兵村は、稲作中心の農村として発展しました。

戦後の屯田地区は水田や畑が姿を消し住宅街へと変貌しましたが、江南神社は開基90年や100年といった節目に社殿や社務所の新築など境内の整備が進められており、今も地区の人々の信仰を集めています。

江南神社のご祭神

江南神社のご祭神が刻まれた石碑

江南神社には、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、大國魂命(おおくにたまのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)の3柱の神様がお祀りされています。

天照大御神

高天原(天上世界)の頂点に立つ太陽神です。

日本神話における最高位の神として、伊勢神宮に祀られる「日本国民の総氏神」であり、様々なご利益があるとされています。

大國魂命

国土を拓く開拓の守護神です。

日本神話の神様や歴史上の人物ではありませんが、「国土そのものに神が宿る」という日本古来の考えに基づき、その土地(ここでは篠路兵村)そのものを神格化した神様のことです。

日本武尊

第12代景行天皇の皇子で、記紀に伝わる熊襲・東夷征伐で活躍した英雄です。

その活躍ぶりから勇敢な戦いぶりから武神として崇められています。

江南神社の境内

社殿

江南神社の社殿

現在の社殿は3代目で、昭和53(1978)年に屯田地区の開基90年を記念して造営されたものです。

地神碑

江南神社の地神碑

春は五穀豊穣を祈り、秋は収穫に感謝する地神信仰。

その神々を祀るのが地神碑であり、札幌市内には現存する12基のうちの1つが江南神社の境内に鎮座しています。

五角柱に刻まれたのは、天照大神をはじめとする農業と深いかかわりを持つ計5柱の神々の名。

その信仰は、徳島県、香川県や兵庫県の淡路島からの移住者によって札幌にもたらされたと言われています。

望郷のアカマツ

望郷のアカマツ

明治27(1894)年、遠い故郷を偲ぶよすがにと、屯田兵中隊本部が篠路兵村の各戸にアカマツを配布しました。

そのうちの1本が、今も江南神社に残されています。

北海道には自生しないアカマツは、西日本出身者で構成された篠路兵村の人々にとって、懐かしい故郷の象徴となったことでしょう。

開拓の歴史を伝える石碑

江南神社の境内には、地区の歴史を物語る石碑が2つ建てられています。

移住紀念碑

移住紀念碑(篠路兵村)

表に「移住記念碑」、裏には建立年月日だけが刻まれたシンプルな石碑で、明治29(1896)年に建てられました。

屯田兵とその家族が入植してから7年が経過したこの年には、江南神社の社殿も造営されています。

厳しい北の大地での生活にようやく目途がつき、開拓の歩みを後世に残したいという気持ちが芽生えたのかもしれません。

開基九十周年記念顕彰碑

開基九十周年記念顕彰碑(屯田地区)

屯田地区の開基90周を記念して昭和53(1978)年に建てられた重厚な石碑には、地区発展の歩みが記されています。

同年には記念事業として江南神社の社殿の造営や社務所の新築も行われ、地域の歴史と文化を継承していくための取り組みが進められました。

屯田の歴史を今に伝える江南神社

屯田開拓顕彰広場
多くのモニュメントが並ぶ屯田開拓顕彰広場

明治時代に屯田兵として入植した人々によって創始された江南神社は、開拓の苦難と屯田地区の発展を静かに見守り続けてきました。

神社のすぐ隣には石碑や銅像などのモニュメントが集まる屯田開拓顕彰広場が、また、徒歩6~8分ほどの場所には屯田地区(篠路兵村)の歴史を伝える屯田郷土資料館があります。

これらの施設とあわせて、ぜひ江南神社も参拝してみてはいかがでしょうか。

屯田兵たちの足跡を辿り、歴史に思いを馳せるひとときを過ごせるでしょう。

アクセスと拝観時間

アクセス;北海道中央バス「屯田小学校」停留所より徒歩2分
受付時間;9:00 ~ 17:00
公式HP;江南神社公式サイト

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参考文献
「篠路兵村の礎(復刻版)」(小谷幸勝 著/1938年)

「さっぽろ文庫39 札幌の寺社」(札幌市教育委員会 編/1986年)
「新札幌市史 第2巻 通史2」(札幌市教育委員会 編/1991年)
「新札幌市史 第3巻 通史3」(札幌市教育委員会 編/1994年)
「新札幌市史 第5巻 通史5(上)」(札幌市教育委員会 編/2002年)
札幌市北区役所ホームページ

  • この記事を書いた人

福島智美

札幌生まれ、札幌育ちの文学修士。学術からビジネス実務の道へ転身し、山口と共に起業する。学芸員資格者でもあり、北海道博物館での実習経験もある。本サイトでは史跡や寺社などを担当。趣味は和装とフィギュアスケート観戦。

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