5年ぶりに姿を表した北海道開拓スピリッツの象徴
北海道開拓のシンボル赤れんが庁舎

「赤れんが庁舎」の愛称で親しまれる北海道庁旧本庁舎が、およそ5年間の長い歳月を経て、2025年7月下旬にようやくリニューアルオープンした。本来であれば昨年のうちに取材したかったが、仕事が多忙だったこともあり、ようやくこの時期の訪問にこぎつけた次第…。
明治21年(1888年)に竣工したこの建物は、アメリカ風ネオ・バロック様式の建築物で、当時の日本では珍しかったレンガ造の巨大建築物である。使用されているレンガはおよそ250万個にものぼると言われ、北海道開拓の歴史と開拓者魂の象徴として道民から愛されている。

赤れんが庁舎の前身、開拓使札幌本庁舎は厚別区の北海道開拓の村に復元されている。開拓使札幌本庁舎は建設からわずか6年で火災により消失。開拓使が廃止され道制に移行した後に赤れんが庁舎が建てられる。

札幌市北3条広場(通称アカプラ)のホワイトイルミネーションの奥にライトアップされた赤れんが庁舎が浮かび上がって幻想的な雰囲気を醸し出す。写真はコロナ禍で外出自粛の頃に撮影。
赤れんが庁舎がリニューアルオープンするまで

赤れんが庁舎は竣工から130年経過した令和元年(2019年)から令和7年(2025年)にかけて大規模な改修工事が行われた。屋根の葺き替えや外壁および内装の改修、設備機器の更新等に加え、耐震工事やバリアフリー化なども同時に施工することとなった。
リニューアル工事着工から長い間、工事の進行状況など知る由もなかったが、令和5年(2023年)5月から令和6年(2024年)5月にかけて、工事現場に隣接して仮設見学施設が設けられ、ミニ博物館さながらの興味深い展示や改修工事の様子などが一般に公開された。

仮設見学施設は3階建ての本格派で、改修工事の工法や建材の見本、また赤れんが庁舎の歴史などに関する資料がたくさん展示されていた。ガラス窓を通して屋根の葺き替え工事も見学できる。
赤れんが庁舎にまつわる筆者の想い出

赤れんが庁舎は北海道開拓使の後に発足した北海道庁の庁舎として建設され、昭和43年(1968年)までの80年間に渡り、道政の拠点として機能した。また翌年の昭和44年(1969年)には国の従業文化財に指定されるなど、まさに道民の心の拠り所ともいえる存在である。
札幌っ子の筆者にとっても赤れんが庁舎は小さい頃から慣れ親しんだ建物であるが、実はそれ以外にも5~6年ほどの短い期間ながら赤れんが庁舎近隣のオフィスに通勤したり、あるいは赤れんが庁舎の会議室でセミナー講師を務めたりするなど、想い出深い場所でもある。

北の観光まちづくりリーダー養成セミナー第7期(2014年)で講師を務める筆者。会場は赤れんが庁舎2F1号会議室。5ヶ月間にもおよぶエキサイティングなセミナーだった。
赤れんが庁舎を探訪する(1階フロア)

赤れんが庁舎が長い改修工事を終えて待望のリニューアルオープンを果たしたのが2025年の7月25日。本来はもっと早い時期に取材したかったが、当社の内部事情(社労士事務所開設)により、8ヶ月遅れでようやくの訪問となった次第。階段は急勾配なので足元に注意。
エントランス付近

正面エントランスの様子。右奥に入館チケットの券売機があり、ここで購入したチケットのQRコードを、手前のゲートのてっぺんにあるセンサーに読み込んで入館するしくみ。

正面エントランスからそのまま2階フロアに上がってゆくこともできる。それにしても広々とした建築様式と優雅な意匠が目を引く。柱や階段の手すりなどは明治時代から使われているものをそのまま保存展示。
地域の魅力発信コーナー

まるで北欧家具のような白地にウッドのシンプルかつ温かい雰囲気の展示室では、道内179市町村の特産品や名物などを「HOKKAIDO179BOX」と名付けられた洒落た什器に展示している。「北海道はでっかいどー!」とはいえ、179もの自治体があるとは知らなかった…。


展示ブースは円形にぐるりと一周しており、ちょうど目線の高さに展示品を集約している。まさにスーパーマーケットの商品陳列でいうところのゴールデンゾーン(笑)。また各市町村の展示BOXは、円周の内側と外側で展示を変えるなど、なかなか凝った演出。




本記事で179もの展示をカバーするのは無理なので、筆者が特に関わりの深い地域に限定してご紹介したい。まず筆者が生まれた北見市(ハッカ)、小学校に入学した釧路市(サケ・マス漁)、20代の転勤先だった岩見沢市(窯業)と留萌市(数の子)。それぞれ2年ずつ暮らした。



続いて現在の仕事の基礎を作った帯広市(ばんえい競馬)+初のマイホームを購入した幕別町(パークゴルフ)=13年暮らした十勝は筆者にとって第二の故郷。最後は降格左遷されて赴いた函館市(イカ)。函館生活は1年半だったが永住したいと思ったくらい風情がある街。
ショップ、レストラン、スイーツファクトリー



1階フロア北端には北海道にちなんだお土産やグッズを販売する赤れんがショップ、南端には道産食材をふんだんに使ったレストランHOUSE.H、そして札幌土産の定番で知られる白い恋人スイーツラボがある。白い恋人スイーツラボは白い恋人パークのサテライト版のよう。
赤れんが庁舎を探訪する(2階フロア)

ここから2階フロアの紹介。重厚な雰囲気の階段もさることながら、天井に吊るされた年代物の照明とその照明が醸し出す陰影の見事なことよ…。道政の拠点ゆえ機能性は大事だが、こういった様式美にもこだわっているところに当時の建築家の美意識の高さを感じる。

長官室の天井から吊り下げられたシャンデリア。これらは当時のものを修復したり、当時の意匠を忠実に再現したものだが、真鍮の鈍い輝きとガラスシェードの柔らかな光が、赤れんが庁舎の重厚な雰囲気によく合う。

巨大な防火扉。写真は1階と2階に設置されているタイプで、地階は天井が低いため小ぶりの扉となる。明治42年(1909年)の大火事により内部の木造部分がほぼ全焼したため、巨大な鉄扉が設置されるようになったそう。
赤れんが庁舎の歴史コーナー

赤れんが庁舎の歴史コーナーでは主に3つのテーマで展示が行なわれている。まずは今般の赤れんが庁舎の大改修にまつわる展示。精緻なミニチュア模型以外にも、前述の仮設見学施設で展示していた展示物の一部など、工法や建材に関する展示が行なわれている。

続いて赤れんが庁舎と札幌発展の足跡に関する展示コーナー。ここでは赤れんが庁舎が設置された時代から現代にいたるまでの街のあゆみをプロジェクションマッピングで学ぶことができる(下がプロジェクションマッピングの画像)。


最後は長官室。大きな長官席の机の手前はこれまた広々とした応接セットが設置されている。筆者の撮影位置の背後には、当時の文献や歴代長官の写真が展示されている。
北海道の遺産・文化コーナー

続いて北海道の遺産・文化コーナーの紹介。北海道遺産とは平成13年(2001年)から始まった、北海道の豊かな自然や開拓の歴史、独自の文化、生活、産業の中から次の世代へ引き継ぎたい道民の遺産(宝物)を道民が選定し、地域資源としてクローズアップする取り組み。

これは北海道遺産のひとつである縄文文化。北海道でも縄文時代の遺跡が数多く発見されているが、北海道はその豊かな自然の恵みゆえ、弥生時代を迎えることなく、そのまま続縄文時代→擦文時代に移行し、独自の歴史と文化を築いていった点が本州以内とは大きく異なる。
ここではそんな北海道の誇るべき遺産や文化を、ジオラマ(ミニチュア模型)を活用し、まるで道内各地を旅しているかのように臨場感たっぷりに展示している。なお本サイトの趣旨に鑑みてここでは筆者の暮らす札幌に関連した展示にフォーカスしてご紹介させて頂く。
アイヌ文化と歴史コーナー

アイヌ文化を紹介するコーナー。床には松浦武四郎が安政6年(1859年)に描いた北海道地図が再現され、その周囲をアイヌ民族の伝統舞踊を放映するデジタルサイネージが囲む。令和元年(2019年)にアイヌ民族が先住民族として法律で認められたことは記憶に新しい。

ウポポイのPRブースもあった。ウポポイは令和2年(2020年)に白老町に開設したアイヌ文化復興のナショナルセンターで、博物館や慰霊施設等からなるアイヌの歴史と文化のテーマパーク。いずれ訪れてみたい。

参考までに札幌市南区の札幌市アイヌ文化交流センター(通称サッポロピリカコタン)の展示を紹介しておく。アイヌ民族にまつわる豊富な展示や伝統工芸体験など、アイヌ文化を理解するのにオススメの施設である。


松浦武四郎が作った北海道の地図。現在ロシアに不法占拠されている北方4島も含め、9,800もの地名がアイヌ語で記されている。左の画像は西区琴似近辺(小さくコトニと書いてあるのがわかるだろうか?)。右は現在の琴似エリア。人口21万人の西区の中心街である。
赤れんが庁舎を探訪する(地階フロア)

赤れんが庁舎には地階が存在する。写真は地階に降りてから後ろを振り返って撮影したもの。ただし地階の窓を見て判るとおり実は地中ではなく地上1階。記事冒頭でご紹介した1階エントランスの急な階段を思い出して欲しいが、実際の赤れんが庁舎は地上3階建てが正解。

これが地階に降りる階段。ただし前述のとおり構造上は地階フロアではなく1階なので、隣接する現道庁の地下食堂や札幌駅前通地下歩行空間とは直結していない。

赤れんが庁舎のボイラー室。創建時から蒸気ボイラー室として使用されており、現在は冷暖房機器こそ最新設備に更新されているが、ヴォールトと呼ばれるレンガ造りの天井は当時のまま。
樺太関係資料室コーナー

樺太関係資料室コーナー。現在のロシア領サハリン州はかつて北緯50度以南が日本領だった。写真は当時稚内~樺太間を運航していた亜庭丸。僚船の宗谷丸が終戦後に南極観測船宗谷として活躍した一方で、亜庭丸は終戦5日前に米軍の攻撃を受け沈没してしまう。

同資料室は①歴史と文化、②戦争と平和、③移住と引揚、④現在の交流の4つの展示ブースで構成される。写真は文化5年(1808年)に和人として初めて樺太北端まで踏破した間宮林蔵の像と南樺太の地図模型。

1905年(明治38年)のポーツマス条約にもとづき樺太の北緯50度に設置されていた日露国境の標石。標石の右側面に「明治三十九年」と刻まれている。1940年代にはおよそ40万人もの日本人が樺太で暮らしていた。

すでに日本がポツダム宣言を受託し、まだ日ソ不可侵条約が有効であったにも関わらず、終戦から3日後にソ連が火事場泥棒よろしく突如として樺太や北方領土への侵攻を開始し、多くの日本人が犠牲となった。

ソ連軍の侵攻により「真岡郵便電信局事件」の悲劇が起こる。ソ連軍の攻撃の中、最後まで通信業務を続けた9人の女性交換手達は「皆さんこれが最後です。さようなら、さようなら…」と言い残し集団自決する。
北方領土展示室コーナー

最後は北方領土展示室コーナー。北方領土は北海道の東側に位置する歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の4島からなる日本固有の領土であるが、前述のとおり1945年8月に日本がポツダム宣言を受け入れるや否やソ連軍が侵攻し、ロシアとなった現在でも不法占拠が続く。

北方領土は18世紀末にはすでに江戸幕府の直轄地となっており、19世紀初頭に日本の実効支配が確立している。かつて1万7千人以上いた日本人は現在はひとりも住んでいない。

北方領土返還運動署名簿があったので、筆者もしっかり署名してきた。北方領土はロシア軍にとって対米戦略の要衝なので、仮に1兆人の署名が集まったとしてもロシアが返還するとは思えないが、意思表示はしておきたい。
南側出入口

地階南側の出入口。正面エントランスの階段に比べてこちらは緩やかなスロープ形状となっており、バリアフリーのまま地階へ入館することができる。入館チケットの券売機とQRコードの読み込みスキャナーがこの奥に設置されており、入館方法は正面エントランスと同じ。
北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)のゆきかた
開館時間とアクセス

北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)はJR札幌駅および地下鉄さっぽろ駅から徒歩約10分にあり、札幌駅前通地下歩行空間(通称チカホ)の10番出口からも近く、札幌観光の起点として最適な立地に位置する。それにしてもこれだけ見応えのある展示内容で入館料300円は安い!
休館日;年末年始(12/29~1/3)、設備点検日※公式サイトでご確認ください。
開館時間;8:45~21:00(最終入館20:30迄)
入館料;一般300円/大学生・高校生200円/中学生以下無料
※八角塔見学ツアーは別チェットの購入(1,200円)が必要です。
アクセス;JR札幌駅南口から徒歩10分、地下鉄さっぽろ駅・地下鉄大通駅から札幌駅前通地下歩行空間を通り(5~10分)、10番出口を出てすぐ。
公式サイト;国指定従業文化財・北海道庁旧本庁舎 赤れんが庁舎
おすすめの主な周辺施設
■北3条広場(通称アカプラ)

正門前には道路をはさんで北3条広場(通称アカプラ)が広がっており、オータムフェストや特設スケートリンクなど、四季を通じて様々なイベントが行なわれている。特に初夏のフラワーカーペットは圧巻なのでぜひ見学したい。
■赤れんがテラス・バルテラス

アカプラに隣接する赤れんがテラス3Fのバルテラスでは、アカプラを見下ろしつつ札幌で人気の専門店の味覚を堪能することができる。写真は3年前の当社設立時に近隣の官庁をまわり開業の届出を終えた後、遅めのランチをとりつつF女史とホッと一息ついている様子。
■札幌駅前通地下歩行空間(通称チカホ)

赤れんがテラス地階は札幌駅前通地下歩行空間(チカホ)に直結。札幌駅側にはアイヌ情報発信スペースminapa(ミナパ=アイヌ語で「皆で笑う」)がある。ちなみに筆者は社労士として10月にチカホで開催する「労働・年金無料相談会」の運営を担当。
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