札幌に残る屯田の記憶・屯田記念資料館
明治時代、現在の札幌市内には4つの屯田兵村が置かれていました。
その中で現在も「屯田」の地名が残るのは、札幌市北区にある屯田地区のみです。
かつて篠路兵村と呼ばれた屯田地区。
その歴史を今に伝えるのが、屯田兵が入植してから100年を迎えるのを記念して開設された屯田記念資料館です。
資料館では、当時の資料や写真を通して、屯田兵の入植から始まる開拓の歴史や、かつての生活の様子を知ることができます。
この記事では、実際に屯田記念資料館を訪れた際の様子を交えながら、館内の展示や屯田地区の歴史について紹介します。
屯田地区(篠路兵村)の歴史
篠路屯田兵村の誕生
札幌市北区にある屯田地区は、かつて篠路兵村と呼ばれ、屯田兵の入植によって開拓された地域です。
明治22(1889)年、西日本7県から屯田兵とその家族220戸1,000人余りの人々がこの地にたどり着きました。
札幌市内には琴似・山鼻・新琴似と合わせて4つの屯田兵村が置かれましたが、篠路兵村はその中でも最後に開村しました。
水害と離村の危機
他の兵村での開拓経験を活かしてスムーズに開墾が進むかと思いきや、低湿地帯かつ石狩川の洪水地帯という土地柄、想像を超える苦労が待ち受けていました。
篠路兵村では当初、家畜の飼料となる燕麦やマグサ、麦・豆類や大根などを栽培していましたが、明治25(1892)年の火事や毎年のように起こる水害によって離村者が続出。
明治37(1904)年末には、集落の戸数は入植時の3分の1となる72戸まで減少しました。
稲作への転換
兵村の存亡が危ぶまれる中、残された人々は稲作への転換に復興の希望を託し、兵村を挙げて灌漑工事を行い、水田開発を進めました。
その努力の甲斐あって、篠路兵村は大正時代には稲作地帯として蘇りました。
昭和38(1963)年から40(1965)年にかけて約2千トン余りを出荷するほどの稲作地帯となった屯田地区。
現在は宅地化が進み水田も姿を消しましたが、屯田郷土資料館はかつての農村の風景と生活を今に伝えています。
屯田郷土資料館を訪ねて
屯田郷土資料館は屯田地区センターに併設されており、センターに入ると左手側に入口があります。
見学は無料ですが、入口のカウンターで来館日時や人数などの記載が必要です。
屯田郷土資料館の展示
屯田郷土資料館は、復元された屯田兵屋をはじめとする約1,330点の資料を所蔵しています。
これらの資料は、1階と2階の展示室でテーマごとに展示され、屯田兵制度のあらましから開拓や日常生活の様子まで、かつての屯田地区について詳しく知ることができます。
1階
資料館1階では、屯田兵制度の概要に始まり、復元された屯田兵屋や当時の農具などの資料を通して、篠路兵村の開墾の様子や屯田兵とその家族の日常生活を詳しく紹介しています。
開拓以前の屯田地区と屯田兵の入植
資料館に入るとまず、エゾシカやヒグマの剥製がお出迎え。
原野が広がる開拓以前の屯田地区の様子を想像させてくれます。
続いて、屯田兵制度のあらましを説明するパネルが並びます。
篠路兵村の屯田兵が西日本出身者で構成されていたことが視覚的に伝わるパネル展示。
温暖な地域からの入植だったこともあり、冬の寒さは相当堪えたのではないでしょうか。
稲作の様子
大正時代から昭和中期にかけての屯田地区は、稲作が盛んな地域でした。
資料館1階には、実際に使われていた農具が展示され、水田を耕してから米を出荷するまでの過程を詳しく紹介しています。
作業の様子を撮影した写真も合わせて展示されており、当時の様子をより具体的に理解することができます。
兵村の暮らし
屯田兵とその家族の一日の様子を再現したジオラマは、当時の生活をリアルに体感させてくれます。
また、篠路兵村消防部の装備も展示されており、発火しやすい泥炭地にあって火災の多発に悩まされた篠路兵村の様子を窺い知ることができます。
資料の充実ぶりに、自らの手で集落を守ろうとする人々の強い思いが伝わってくることでしょう。
屯田兵屋(復元)
篠路兵村に入植した屯田兵が実際に生活していた兵屋が移設・復元され、資料館の目玉展示となっています。
屋内には生活用具の他、屯田兵とその家族を模したパネルが置かれ、ボタンを押すと一家の会話を聞くことができるなど、当時の生活をリアルに再現しています。
また、階段や吹き抜けの2階からは兵屋の作りを上から観察でき、資料館の中でも特に興味深い展示の一つです。
2階
屯田兵の制服や屯田地区の古写真などが展示された階段を上ると、2階展示室です。
このフロアでは生活用具や江南小学校(現在の屯田小学校)の資料を通じ、かつての日常生活の様子を詳しく知ることができます。
水害からの復興
度重なる水害によって離村者が続出し、住人の数が当初の3分の1まで減少した屯田地区。
しかし、人々は希望を捨てず、畑作からより収益性の高い稲作への転換を決意します。
こうして明治末から大正初期にかけて、地区全体で力を合わせ、大規模な水田開発が行われました。
2階展示室の一角には、水害克服と畑作から稲作中心の農村への変貌を遂げた地域の歴史を紹介するコーナーが設けられています。
資料を通して、水田開発を成功させるために人々がどのような努力をしたのかを詳しく知ることができます。
水田開発にあたっては、土功組合と呼ばれる農業に必要な施設の整備・維持を行う団体が組織され、灌漑工事や水路の整備を進めました。
また、工事費用には、篠路兵村の共有財産である公有地を売却した資金が充てられました。
屯田地区の生活文化
生活用具などの展示を通して、かつての屯田地区の人々の暮らしを垣間見ることができます。
兵村の中隊本部や練兵場があった場所に建てられた屯田小学校の様子も展示されており、当時の教育の様子を知ることもできます。
着物好きとして気になる雪下駄の展示。
つま先カバーについているのは定番のアザラシの毛皮でしょうか。
現在は高級品となってしまった感がありますが、当時は今より手に入りやすかったのかもしれません。
全自動籾すり機
2階展示室でひときわ目を引くのが、巨大な全自動籾すり機です。
籾殻を取り除き籾と玄米を分離するこの機械は、稲作地帯として成長した屯田地区の姿を象徴する資料と言えるでしょう。
屯田郷土資料館で開拓の息吹を感じよう
札幌市北区の屯田郷土資料館では、屯田兵の入植から水田開発、そして現代に至る屯田地区の歴史を、当時の生活用具や農具、写真資料などを通してリアルに体感できます。
特に、復元された屯田兵屋は必見です。
近隣には、入植者の心の支えとなった江南神社や、屯田開拓の歴史を伝える石碑や銅像が並ぶ屯田開拓顕彰広場もあり、合わせて訪ねてみるのもおすすめです。
ぜひ足を運んで、屯田地区の歴史を肌で感じてみてください。
アクセスと開館時間
アクセス;北海道中央バス「屯田地区センター」(01、02、麻01)から徒歩1分、「屯田小学校」(栄19)から徒歩5分、「屯田5条7丁目」(麻03)から徒歩6分
開館時間;13:00 ~ 16:00
休館日;月曜日、年末年始
入館料;無料
公式HP;札幌市役所、札幌市屯田地区センター
こちらもおすすめ
参考文献
「篠路兵村の礎(復刻版)」(小谷幸勝 著/1938年)
「さっぽろ文庫45 札幌の碑」(札幌市教育委員会 編/1988年)
「新札幌市史 第2巻 通史2」(札幌市教育委員会 編/1991年)
「新札幌市史 第3巻 通史3」(札幌市教育委員会 編/1994年)
「新札幌市史 第5巻 通史5(上)」(札幌市教育委員会 編/2002年)
札幌市北区役所ホームページ