街の移ろいを見守る、豊平の鎮守

札幌の中心部から豊平橋を渡り、国道36号線を月寒方面へと少し進むと、住宅街や商店の合間に、ふと緑豊かな一角が現れます。
それが今回ご紹介する豊平神社です。
境内には、明治の頃の面影を残す石碑や狛犬など、豊平という土地が歩んできた道のりが静かに刻まれています。
豊平神社のご由緒
開拓のはじまりと豊平神社の創祀

豊平地区に初めて定住したのは、豊平川の渡し守を務めた志村鉄一で、安政4(1857)年のこととされています。
その後、明治時代になると徐々に入植者が現れはじめ、この土地の開拓が本格化していきます。
豊平神社の創祀も、そうした開拓初期の出来事のひとつです。
後に豊平村の総代人もつとめる阿部仁太郎が、開拓使から払い下げを受けた土地(現在の境内地付近)に、父の故郷である青森県・猿賀神社の御祭神を祀る小祠を建てたのが始まりとされています。
その時期は明治4(1871)年とも伝わり、いずれにせよ明治の早い時期であったようです。

嘉永6(1853)年に上磯郡茂辺地村(現在の北斗市)に生まれた阿部仁太郎は、明治4(1871)年頃に札幌へ移住した豊平開拓の功労者です。
商業や農場経営のかたわら、郵便局開設や学校設立、豊平聯合用水の開削など地域発展に尽力しました。
境内には、彼の功績を称える石碑が今も残っています。
(写真:北海道大学付属図書館蔵)
『豊平神社百四十年史』には、創祀当時のものと思われる貴重な写真が掲載されています。人家の見当たらない原野に小祠だけが佇む姿から、開拓初期の人々の信仰の様子がうかがえます。
また、ちょうどこの頃に札幌本道(室蘭街道とも。現在の国道36号線)が開かれ、明治6(1873)年には豊平村が誕生しています。
神社としての発展と社格の変遷

札幌本道が整備されたことで、豊平村は交通の要衝、すなわち札幌の玄関口として次第に発展していきます。
そうした中、明治17(1884)年に初代の社殿が建立されました。
神社としての体裁が整ったことで、豊平神社は明治22(1889)年に公認神社(無格社)となり、さらに大正8(1919)年には村社へと昇格します。
なお、この間の明治43(1910)年には、豊平村が札幌区に編入されました。
定山渓鉄道の開通や路面電車の乗り入れといった地区の発展にあわせて、大正14(1925)年には社殿が改築されるなど境内の整備が進み、昭和18(1943)年には郷社へと昇格しました。
開拓初期に建てられた小祠から、地域とともに歩みを重ね、豊平神社も徐々に整備されていったことがうかがえます。
戦後から現在へ

戦後、国家神道の廃止をはじめとする大きな時代の変化のなかでも、豊平神社は変わらず地域の氏神様として親しまれ続けてきました。
戦後の急速な都市化や人口増加のなかで、豊平・美園地区をはじめとする周辺住民の厚い崇敬を受け、その歴史と伝統をしっかりと受け継ぎつつも、地域の鎮守として現在も発展を続けています。
豊平神社のご祭神

豊平神社には、上毛野田道命(かみつけののたみちのみこと)、大山祇命(おおやまつみのみこと)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)の三柱の神様がお祀りされています。
上毛野田道命
崇神天皇の5代孫であり、4世紀半ば頃に東北地方の反乱平定のため出征し、戦死したと伝わります。
坂上田村麻呂による奥羽平定の際、田道命の加護によってこれが成し遂げられたとして、青森県の猿賀神社に祀られるようになりました。
上毛野田道命を祀る神社は全国的にも珍しく、開拓の神として信仰されています。
大山祇命
日本神話における山の神であり、転じて林業の神としても信仰されています。
開拓初期は伐木作業が盛んであったため、その安全を祈願して祀られるようになりました。
倉稲魂命
穀物を司る神であり、転じて衣・食・住や商売繁盛、五穀豊穣の神として「お稲荷様」の名で広く親しまれています。
人々の暮らしに直結する生活の神として、古くから厚い信仰を集めてきました。
豊平神社の境内
社殿

現在の社殿は、昭和46(1971)年に神社の鎮座90年を記念して造営されたものです。
狛犬

境内には二対の狛犬があります。
そのうち社殿前の狛犬は、昭和49(1974)年と比較的新しい時代に奉納されたものです。
一方、境内東側には明治32(1899)年に奉納された一対があります。


こちらは札幌軟石製で、歴史を感じさせつつもどことなく愛らしいフォルムをしています。
その台座には、阿部仁太郎をはじめとする多くの奉納者の名が刻まれています。
社号標


鳥居前に立つ社号標は、昭和18(1943)年の郷社昇格を記念して奉納されたものです。
揮毫は、当時月寒にあった日本陸軍北部軍(北方軍)の司令官・樋口季一郎によります。
また、社殿横の奥まった一角には、先代の社号標がひっそりと保存されています。
こちらは側面や裏面に刻まれた文字から、昭和3(1928)年の昭和天皇の御大典(即位の礼)を記念し、当時の北海道庁長官・沢田牛麿の書により建てられたものと推測されます。
石碑類
明治初期までさかのぼる歴史を持つ豊平神社には、地域の歩みを物語る石碑が数多く残されています。
阿部仁太郎の碑

境内奥にひっそりと佇むこの碑は、豊平開拓の功労者・阿部仁太郎が藍綬褒章を受けたことを機に、明治32(1899)年に建立されました。
文字の風化は見られるものの、地域の基礎を築いた先駆者に対する、当時の人々の深い敬意と感謝の念が静かに伝わってきます。
満州戦役(没)記念碑

日露戦争で戦没した豊平村出身者を慰霊するため、明治39(1906)年に建立された碑です。
地域が背負った戦争の記憶を静かに今に伝えています。
札幌市豊平聯合用水組合創立五十年記念碑

豊平聯合用水の水利組合結成50年を記念し、昭和18(1943)年に建立されました。
同用水は阿部仁太郎をはじめとする4カ村(豊平・平岸・月寒・白石)の有志らが開削したもので、地域の稲作の発展に大きく寄与しました。
なお、境内にはこの用水に関連する石碑が他にも複数残されています。
針供養碑

昭和36(1961)年に北海道文化服装学院と地域の婦人会が建立しました。
縫い針への感謝と技術向上を祈る風習にちなみ、北海道の歌人・小田観蛍の短歌が刻まれた碑の下には古い針を収める針塚が設けられています。
交通安全祈念塔

昭和46(1971)年、かつて馬車運送業を営んでいた人々により建立されました。
輸送の主役が馬から自動車へ移る時代に、馬たちへの感謝とこれからの車社会の安全を願う思いが込められています。
豊平の歩みと面影をいまに伝える社

豊平神社は、開拓期の小さな祠から始まり、地域の発展とともに歩みを重ねてきました。
境内に残る狛犬や石碑のひとつひとつに、この土地を切り拓いてきた人々の思いが刻まれているように感じられます。
札幌の玄関口・豊平の歩みを見つめ続けてきたこの神社へ、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。





