札幌軟石の里に鎮座する石山神社
札幌駅から車で約30分、札幌市南区石山地区に鎮座する石山神社。
古くから地域の人々の信仰を集めるこの神社は、戦前の道内で盛んに使われた石材「札幌軟石」の産地として知られる石山地区の鎮守社です。
その起源は、札幌軟石の採掘に携わる人々が作業の安全を祈って山の神をお祀りしたことに遡り、まさに札幌軟石の里にふさわしい神社と言えるでしょう。
本記事では、写真と共に石山神社の魅力と歴史をご紹介します。
石山神社のご由緒
札幌軟石の発見
石山地区の歴史は、明治5(1872)年の札幌軟石発見に始まります。
札幌軟石は、支笏湖(千歳市)ができた際の噴火で流れてきた火砕流が冷えて固まった岩石です。
加工しやすい硬度、優れた断熱性を持ち、明治時代から戦前にかけて建築資材として道内で広く利用されました。
北海道開拓使は、札幌の街づくりに欠かせない資材として札幌軟石の採石を推進し、明治7(1874)年頃から本格的な採掘が始まりました。
採掘に携わったのは本州からやってきた石工職人たちで、多くは単身赴任。冬期は積雪で採掘できないこともあり、この地に定住する者は少なかったようです。
石山神社の創祀
やがて、札幌軟石の採掘量の増加と共に、石山地区に定住する石工も増え、明治10年代には開墾を目的とした入植者も現れ始めました。
そして明治18(1885)年、石工職人たちが作業の安全を祈願し山の神をお祀りし、これが石山神社の起源となります。
更に明治24(1891)年には、ご神体として「山乃神」碑が建立されました。
石山地区の発展と神社の移転
明治25年の札幌大火以降、防火性に優れた石造建築の需要が増加し、札幌軟石の採掘量は更に増大。
明治42年には石材運搬を目的として、札幌中心部との間に馬車鉄道が敷設されました。
また、リンゴ園や水田が作られるなど農地の開墾も進みました。
石山神社周辺も人家が増えたことから、明治43(1910)年、高台にある現在地に「山乃神」碑を移築し、新たに社殿が造営されました。
各集落のご祭神を合祀
石山地区では、山の神以外にも各集落ごとに石碑を立て、故郷の氏神などをお祀りしていました。
時期は不明ですが、これらの神々は石山神社に合祀されることになりました。
また、大正時代には境内に忠魂碑が建立されます。
こうして鎮守社として地域の人々の信仰を集めるようになった石山神社では、昭和2(1927)年に社殿の改築や札幌軟石製の鳥居の奉納などが行われました。
戦後の石山神社
石山神社は昭和45(1970)年に宗教法人となり、その際、ご祭神が天照大御神1柱に改められました。
それまで合祀されていたご祭神は、各集落に建立されていたご神体の石碑を、昭和60年代から平成10年代にかけて石山神社の境内に移設することで、現在もお祀りされています。
また、平成18(2006)年には神職の方が常駐するようになり、札幌軟石を使用した神輿の作成や社殿の改築が行われるなど、近年も様々な整備が行われています。
石山神社のご祭神
石山神社には、天照大御神(あまてらすおおみかみ)がお祀りされています。
天照皇大神は高天原(天上世界)の頂点に立つ太陽神で、日本神話における最高位の神です。
「日本国民の総氏神」として、様々なご利益があるとされています。
石山神社のご祭神の変遷
石山神社は初め、山の神である大山祇神を祀っていましたが、その後、地区の各集落で祀られていた以下の神々が合祀されました。
- 天照大御神
- 八幡大神
- 春日大神
- 豊受姫神
しかし、昭和40年代に宗教法人となった際に、ご祭神は天照大御神1柱に改められました。
他の神々は各集落に建立されていた石碑を境内に移転することで、現在も石山神社で祀られています。
宗教法人設立後でもご祭神を5柱とする資料が散見される背景には、そのような事情もあるのかもしれません。
石山神社の境内
社殿
現在の社殿は3代目で、平成27(2015)年に鎮座130年を記念して建てられました。
伊勢神宮の古材を賜って造営された社殿は、荘厳な雰囲気を漂わせています。
狛犬と鳥居
社号標、参道の階段、灯籠、狛犬、そして鳥居に至るまで、全て軟石で造られた石山神社。
まさに札幌軟石の里の鎮守社にふさわしい佇まいを見せています。
軟石製の狛犬は札幌市内でもよく見かけますが、鳥居となると数が少なく、石山神社の鳥居は貴重な存在といえるでしょう。
石山神社の石碑群
石山神社の境内には、かつて地区内のあちこちに建てられていた石碑が数多く集められています。
神々を祀る石碑群
境内の一角には、初め地区内の各集落でお祀りされ、後の一時期、石山神社に合祀されていた神々の名を刻んだ石碑が並んでいます。
稲荷大神碑(写真左)
昭和5(1930)年に石山6区に建立、昭和63(1988)年に石山神社へ移転した、お稲荷様を祀った石碑です。
天照皇大神・八幡大神・春日大明神碑(写真中央手前)
明治34(1901)年に石山東4丁目(国道453号線沿い)に建立、平成14(2002)年に石山神社へ移転した石碑です。
中央に天照皇大神の名が大書され、その左右に小文字で春日大明神と八幡大神と刻まれています。
山乃神碑(写真中央後ろ)
特に目を引くのが、石山神社の起源となった山乃神碑です。
札幌軟石の採掘作業の安全を祈って、明治24(1891)年に石山組中(札幌軟石の採掘業者と石工達)によって石山1区に建立され、明治43(1910)年に現在の境内地に移転しました。
「山乃神」の碑文は3名の石工が一文字ずつ刻んだもので、丸みを帯びた文字と札幌軟石の素材感が温かみを醸し出しています。
山の神碑(写真右)
明治23(1890)年建立、平成2(1990)年に石山2条2丁目から石山神社に移設された、山の神をお祀りする石碑です。
山の稜線を連想させるような三角錐の形が印象的な石碑です。
慰霊碑
ご神体の石碑の右隣りには、忠魂碑と招魂碑が建てられています。
忠魂碑(写真左)
大正9(1920)年に石山神社境内に建立された石碑です。
戦争で亡くなった地域の人々の霊を慰めるために建てられたもので、現在では日露戦争から太平洋戦争までの戦死者109柱を祀っています。
かつては2mほどの台座の上に立っていましたが、平成16(2004)年に石碑群を現在地に一括移設した際に台座は撤去されたようです。
招魂碑(写真右)
日露戦争勃発から約半年後の明治37(1904)年、石山東4丁目に建立されました。
その後、同じ場所に建てられていた「天照皇大神・八幡大神・春日大明神碑」と合わせて、平成14(2002)年に石山神社境内に移築されました。
一般的に招魂碑は戦没者の慰霊のために建立されますが、言い伝えによるとこの石碑は開拓のために亡くなった人々を慰霊するべく建てられたものだそうです。
石山開基百年記念碑
札幌軟石の採掘と共に地区の歴史が始まった石山地区。その歴史を象徴するのが、石山開基百年記念碑です。
この記念碑は、本格的な軟石採掘が始まった明治7(1874)年から100年になるのを記念して、昭和49(1974)年に建てられました。
札幌軟石をふんだんに使った石碑は、重厚さと温かみを兼ね備え、石山の歴史を静かに語りかけているようです。
石山神社の初詣
社殿の前には初詣に訪れた人々の行列が。
小高い丘の上にある石山神社の境内は風が強く、体感温度が低く感じられます。
初詣の際は、しっかりと防寒対策を!
南区で唯一、神職の方が常駐する神社とあってか、石山神社の初詣はなかなかの賑わいです。
そのため、参道の石段の下にある京田食品株式会社の駐車場が、車での参拝者のために開放されています。
この日は1月2日、境内には獅子舞の姿も見受けられました。
毎年見かける獅子舞ですが、ひとりぽつんと立っていることも多く、ちょっと寂しげ…(その後、駆け寄った子供たちの頭を噛んであげていました)。
札幌軟石の里の歴史を今に伝える石山神社
札幌軟石の産地として栄えた石山地区。
軟石の採掘に従事した人々が、作業の安全を祈って山の神を祀ったのが、石山神社の起源です。
その境内はいたるところに軟石が使われ、まさに軟石の里にふさわしい風情を醸し出しています。
農村として出発した地域が多い札幌市内にあって、石山地区のように石材産出に起源を持つ地域は珍しく、石山神社はその歴史を象徴する存在と言えるでしょう。
周辺には、札幌景観資産に指定されている旧石山郵便局(現・ぽすとかん)や、旧石切山駅(現・石山振興会館)などの貴重な建物もあります。
これらの見どころとあわせて参拝し、札幌軟石の里の歴史を感じてみてはいかがでしょうか。
アクセス
アクセス;じょうてつバス(快速8、快速8J、12、12J)「石山緑小学校」停留所から徒歩1分
公式HP;石山神社(北海道神社庁HP)
参考資料
「郷土誌さっぽろ 石山百年の歩み」(石山開基百年記念実行委員会 編/1975年)
「さっぽろ文庫23 札幌の建物」(札幌市教育委員会 編/1982年)
「さっぽろ文庫39 札幌の寺社」(札幌市教育委員会 編/1986年)
「さっぽろ文庫45 札幌の碑」(札幌市教育委員会 編/1988年)
札幌市南区役所ホームページ
石山地区ポータルサイト「石切の里いしやま」
[PR]RWCは人事業界の家庭医です。調子が悪いな…と感じたらお気軽にご相談ください。
🍀RWCならソレ解決できます🍀