北海道開拓は琴似からはじまった
琴似屯田兵の入植
琴似神社は札幌市西区の行政や商業の中心地である琴似地区に建っている。琴似地区は札幌市内でも有数の繁華街として知られるが、札幌市民であっても北海道開拓の歴史が琴似地区から始まったことを知る者は決して多くない。
今からおよそ150年前の明治8年(1875年)に、屯田兵第1大隊第1中隊の198世帯が琴似地区に入植して北海道開拓事業がスタートした。そして琴似屯田兵村の開村と同時に琴似神社が創建され、今日に至るまで地域住民の心のよりどころとなっている。
仙台藩伊達家と琴似神社
琴似屯田兵の多くが旧仙台藩亘理郡出身者だったことから、最初に琴似神社に祀られた神様は亘理伊達家の開祖である伊達成実(だてしげざね)だった。伊達成実は独眼竜で知られる伊達政宗の一族であり、智将片倉景綱とともに戦乱期の伊達政宗を支えた。
北海道開拓の時代には亘理郡では伊達成実を「武早智雄神(たけはやちおのかみ)」として祀っており、そこで琴似屯田兵村でも武早智雄神を御祭神として武早神社を建立したが、これが後の琴似神社となる。ちなみに亘理伊達家は北海道伊達市の開祖でもある。
当初の武早神社は近隣のお寺の境内に建てられた小さな祠だった。このお寺は日蓮宗日登寺といい現在も琴似の西隣にある山の手地区に存在している。
琴似神社を建立した屯田兵
日蓮宗日登寺の境内にひっそりと佇む小さな祠を現在の場所に移転し、立派な神社に改修したのは当時、陸軍中尉として琴似屯田兵の軍事教練を担当していた牧野清作氏をはじめとする琴似村の有志達だった。
その後明治30年(1897年)に武早神社は琴似神社に改称された。そして現在も琴似神社の境内には「村社琴似神社」と彫られたかつての社号標と牧野清作氏の細君が奉納を行った時の記念碑が建っている。
牧野清作陸軍中尉の資料は琴似神社の向かい側にある琴似屯田兵歴史館 資料室で閲覧できる。資料室にはご息女の手記も展示されていて、琴似神社建立に際して亘理伊達家から拝領した陣羽織を琴似神社に奉納したエピソードなどが記されている。
琴似神社のみどころ
琴似神社の御祭神
琴似神社には5柱の御祭神が祀られている。どの神様も由緒ある神社からの分祀だったり、歴史上の偉人が神格化されたりしたものだ。そのような背景もあってか琴似神社は昔から札幌市民の間で祈願成就のパワースポットとして知られている。
天照大御神(あまてらすおおみかみ) 日本神話の主神で全知全能の女神。天岩戸の神隠れの逸話でも広く知られる。伊勢神宮から分祀された。 豊受大神(とようけのおおかみ) 古事記に登場する豊穣の女神であり稲荷神とも呼ばれる。天照大御神と同時期に伊勢神宮から分祀された。 大国主大神(おおくにぬしのおおかみ) 国づくりと医薬の神。鳥取県出雲大社と奈良県大神神社の御祭神。琴似神社は出雲大社から分祀を受けた。 武早智雄神(たけはやちおのかみ) 武早智雄神は宮城県の亘理神社の御祭神。分祀というより亘理郡出身者が祀った後に本家公認となった。 土津霊神(はにつれいしん) 旧会津藩出身者が江戸時代の会津藩主だった保科正之公を祀ったもの。福島県土津神社の御祭神である。
琴似神社の境内社
御門山琴似天満宮(みかどやまことにてんまんぐう)
御祭神は菅原大神(すがわらのおおかみ)で、いわずと知れた学問の神様である。受験シーズンになるとお宮の前には合格祈願の絵馬がずらりと並ぶ。
報徳神社(ほうとくじんじゃ)
御祭神は大国魂神(おおくにたまのかみ)。大国魂神は日本の国土全体に宿る国家安寧の神様とされていて擬人的なキャラクター設定などはない。
安全神社(あんぜんじんじゃ)
安全神社の御祭神は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)といい、こちらも擬人化されておらず神道全般を統括する神様という位置づけである。
馬頭神社(ばとうじんじゃ)
境内の裏手にひっそりと並ぶ馬頭観世音(ばとうかんぜおん)、馬頭神社、馬頭大神の碑。開拓に従事した開墾馬の慰霊のために建立されたようだ。
琴似神社例大祭
琴似神社を代表する行事として春季と秋季に行われる例大祭がある。春季は琴似屯田兵が琴似の地へ入植を完了した5月27日に、また秋季は明治天皇が琴似屯田兵村に行幸された9月3~4日に開催されるのが例年のならわしとなっている。
琴似神社例大祭の神輿渡御では北海道開拓の始まった地にふさわしく年代物のポルシェ製トラクターでワイルドに山車を牽引してゆく。
演舞場では琴似のご当地アイドル「teamくれれっ娘!」がダンスを披露。琴似地区の地域振興のためにさまざまなイベントで活躍中。
琴似神社例大祭の楽しみはなんといっても琴似栄町通にずらりとならぶ縁日の屋台。およそ1kmにわたって多彩なお店が軒を連ねる。
例大祭の夜。昼間帯ほどでないにせよ夜間も参拝客が絶えない。境内の演舞場では21時頃まで地元のバンドによるライブなどが催されている。
こちらは7月中旬に行われている琴似夏祭りの様子。境内にはフードコートや子供向けイベントなどが多数催され、多くの家族連れで賑わう。
茅の輪くぐり
茅の輪くぐりは、夏越の祓(なごしのはらえ)という神事の一環として行われる儀式で、その昔、スサノオミコトに退治されたヤマタノオロチの祟りを恐れた村人たちが茅で作った輪を腰につけ、6月30日に海に向かって罪穢れを祓うようになったのが由来と言われている。
茅の輪くぐりの作法は、①茅の輪の前で一礼する→②左足で茅の輪をくぐる→③右足で茅の輪をくぐる→④左足で茅の輪をくぐる→⑤一礼して参拝する、というのが一般的で、通常は8の字を描くように茅の輪を3回くぐる。
茅の輪には、厄除けや無病息災のご利益があるとされており、また、茅の輪をくぐることで、心身の穢れを祓い、清浄な状態になることができるとも考えられている。
境内の史跡と保存林
琴似屯田兵村 兵屋跡
琴似神社の本殿裏には入植当時208戸あった琴似屯田兵村兵屋の中で現存する貴重な2戸のうちのひとつ(旧佐藤邸)が残っている。今でこそ簡素な小屋にしか見えないが、アメリカ人技師ホーレス・ケプロンの提言により設計されたこの時代では最先端の戸建住宅だった。
老朽化が激しいため現在は残念ながら屋内に立ち入ることはできないが、かろうじて窓から当時の生活シーンをうかがい知ることができる。
現存する琴似屯田兵村兵屋のもうひとつ(旧清野邸)は琴似神社から地下鉄東西線琴似駅方面へ向かって徒歩5分くらいのところにある。こちらは国指定の史跡であり札幌市の重要文化財でもある。内覧も可能なので参拝がてら見学してみるのもよいだろう。
琴似屯田授産場跡の碑
琴似屯田授産場跡の碑は現在の西区役所付近にあった旧山田邸から、かつて琴似屯田兵村が殖産のために行っていた養蚕の授産場の遺構が発見されたことを記念して建立された。
現在、琴似屯田授産場は厚別区にある野外博物館 北海道開拓の村に旧山田家養蚕板倉として復元展示されている。琴似から地下鉄東西線に乗って新さっぽろ駅までゆき専用シャトルバスに乗り換えて20分で到着する。
忠魂碑
忠魂碑は日清戦争と日露戦争に出征した琴似屯田兵の戦没者達の英霊を慰めるための慰霊碑である。報徳神社の社号標の後ろにあり注意して探さないとわかりづらい。
日露戦争のころには琴似屯田兵の多くが退役していたため隣の新琴似屯田兵村から派兵していたそうだ。琴似バスターミナルから麻生行のバスに乗りニトリ本社前で下車すると新琴似屯田兵中隊本部に行くことができる。
琴似兵村五十年記念塔跡
かつてこの場所には琴似屯田兵入植50周年を記念した記念館と記念塔が建っていたが、記念館は火災で消失し、記念塔は老朽化によって解体されてしまった。現在は記念館と記念塔の記憶を後世に伝えるべく石標が残っているのみである。
琴似神社の向かい側にある琴似屯田兵歴史館 資料室には記念館と記念塔の縮小模型が展示されている。
塔のてっぺんに据えられた五芒星の展示は実物である。五芒星は北海道開拓のシンボルであり近隣の琴似小学校の校章デザインにも採用された。
新川牧場地区から移設された地神碑
琴似神社の本殿裏には、北区新川の牧場地区にあった地神碑が移設されて祀られている。この地神碑は偶然にも新川皇大神社の起源となった部有地の地神碑と同じ年に建立された。日頃から琴似神社に参拝している地元の人でも、この石碑の存在を知っている人は多くない。
札幌市指定・保存樹林
札幌市には都市の美観風致を維持するために「保存樹木制度」がある。神社の境内を中心に市内で全34箇所が指定されており琴似神社もそのひとつ。
ほかにも三吉神社(中央区)や相馬神社(豊平区)などにも札幌市の指定保存樹木がある。
地域に愛される琴似の鎮守
琴似神社は御社殿のサイズだけを見ると札幌市内にある神社の中では中堅の部類に入るが、屯田兵の第一陣が北海道に初めて入植した地に建立された神社という意味では、北海道開拓における琴似神社の歴史的意義は非常に大きい。
そして琴似神社は現在でも毎日参拝客が絶えない。これといったメジャーな観光スポットがあるわけでもない琴似地区にあって常に多くの来場者で賑わっているというのはそれだけ琴似神社が地域の住民達から愛されている証であろう。
琴似神社のようにいつも境内に活気が満ちているスポットには福の神が宿るそうだ。きっとご利益があるだろうから来札の折にはぜひ琴似神社に参拝し、また屯田兵にまつわる史跡なども訪ねて北海道開拓のルーツに触れてみて欲しい。