定山渓温泉の開祖・美泉定山ゆかりの寺院
札幌の奥座敷として知られる定山渓温泉。
その開祖とされ、また「定山渓」という名称の由来となった美泉定山ゆかりの寺院である、定山寺を訪ねました。
定山寺の沿革
定山寺は曹洞宗の寺院で、山号を大徳山といいます。
大正5(1916)年、中央寺(札幌市中央区)の三代目住職により作られた説教所が、そのはじまりとされています。
定山渓の開祖である美泉定山が札幌に出向いた折りに宿所としていたのが中央寺であり、その縁もあり定山渓の地に説教所を設けることになったようです。
また、定山は明治10(1877)年に亡くなっていますが、その遺品の一部が中央寺に残されており、これらの品々は大正12(1923)年に定山寺へ移されました。
創立時は現在地より少し札幌中心部寄りに所在していた定山寺ですが、昭和18(1943)年に現在地へ移転し、温泉街を訪ねる人々に美泉定山の功績を伝えています。
美泉定山の略歴
美泉定山は文化2(1805)年、備前国(岡山県)に生まれた真言宗の修験僧です。
十代後半の頃から高野山や東北各地で修行を重ねた定山が北海道に渡ってきたのは、嘉永6(1853)年頃と言われています。
道南で数年間を過ごした後、文久1(1861)年頃に小樽の張碓(はりうす)に移住した定山は、やがて豊平川の上流に温泉があることを知ります。
こうして慶応2(1866)年以降は定山渓に居住し、温泉開発と経営に当たるようになりました。
やがて明治時代になり札幌に開拓使が置かれると温泉の開発を陳情し、その求めに応じた開拓使は明治4(1871)年に定山を湯守に任命し、扶持米を支給することにしました。
しかし、湯治客はなかなか増えず、明治7(1874)年に湯守が廃止された後の生活は苦しかったようです。
そして明治10(1877)年11月、山に入った定山は行方が分からなくなってしまいました。
その最期が判明したのは行方不明になってから100年ほど後のことで、小樽の寺院の過去帳により、張碓の山中で病没したことが分かりました。
定山の温泉開発に対する熱意は後の人々に受け継がれ、現在の定山渓は札幌の奥座敷として広く親しまれる景勝地となっています。
定山寺の境内
定山寺を訪れたのは冬のある日のことでしたが、拝観時間内のはずが扉に鍵がかかっていました。
どうしたものかと困っていたところ、雪かきのためにご住職が表に出てこられ、内部の案内と解説をしてくださいました。
なお、ご住職は定山ゆかりの中央寺の方で、定山寺へは車で通っていらっしゃるとのことです。
宝物殿
宝物殿には定山愛用の品や手紙など、ゆかりの品々が展示されています。
これらの展示物には中央寺に保管されていたものも含まれています。
美泉定山和尚像
昭和初期に作られた、定山の木像です。
定山は身長6尺(180cm)、小太りの力持ち、丸顔で目が大きく、子供がよくなつく人柄だったと伝えられていますが、そんな人となりがよく思い浮かぶ像ではないでしょうか。
大田山大権現不動尊版木
北海道に渡ってきた定山は数年間、現在のせたな町にある太田神社(太田山神社)の別当をつとめていましたが、その頃に本人が彫った版木です。
太田神社の本殿は断崖絶壁の上にあり、たどり着くまでには勾配40~45度の階段、梯子・ロープ・つり橋・鎖場が待ち受けるなど、「日本一危険な神社」とも呼ばれているそうです。
獅子頭
温泉の経営が軌道に乗らず困窮した定山は、この獅子頭を手に托鉢を行い、糊口をしのいでいました。
前述の版木と同じく、こちらも定山本人の手によるものと伝わっています。
宝物殿では他にも自作の弘法大師像などが展示されており、定山の手先が器用なことに驚かされます。
定山真筆の書状
展示物の中には、定山本人の手による書状といった貴重な資料もあります。
これは鹿皮が取れず借金を返済できないという詫び状で、明治7(1874)年のものです。
どうやら定山は鹿の毛皮を売買して収入を得ようとしたものの、鹿が捕まらず目論見が外れてしまったようです。
獅子頭と同様に湯守廃止後の窮乏ぶりがうかがえます。
本堂
本堂は宝物殿と合わせて、平成28(2016)年に改修されたものです。
こちらでは法事なども行われますが、ご住職によれば定山渓地区の人口減少に伴い、檀家数はかなり減少しているとのことでした。
また、定山寺は外国人観光客も多く訪れており、本堂には海外からのご供物も置かれていました。
開祖美泉定山記念碑
昭和41(1966)年に当時の檀家総代の方が建立した記念碑で、定山の略歴や定山寺の創立経緯が刻まれています。
少し赤みがかった石材は万成石といい、定山の出身地である岡山県の名産品だそうです。
故郷ゆかりの石材を使用しているところに、地元の人々の定山に対する思いの深さが感じられます。
まとめ
定山寺では数多くの貴重な資料によって、定山渓温泉の開祖である美泉定山の人となりを知ることができます。
すぐ隣の定山渓神社と合わせて訪ねると、いっそう定山渓の歴史を感じられますので、ぜひ足を運んでみてください。