天神山に佇む平岸地区の鎮守社
札幌市豊平区の平岸地区は、市内でも比較的早くから開拓が始まった地区です。
また、かつてはリンゴの名産地としてその名が知られていました。
そんな平岸の鎮守神ともいえる神社が、天神山に鎮座する相馬神社です。
今回は、豊かな緑に囲まれた相馬神社をご紹介します。
相馬神社のご由緒
平岸開拓の歴史
相馬神社の建つ平岸地区の開拓が始まったのは、明治4(1871)年のことです。
この年、岩手県水沢市(現在の奥州市)出身者を中心とする60戸あまりの人々が入植し、平岸村が開村しました。
「平岸」という地名は、アイヌ語の「ピラ・ケシ・イ(崖の尻のところ)」からつけられたといわれています。
入植当初は麻の栽培を行っていましたが、思うように収穫が得られず、土地を離れる入植者が続出しました。痩せた土地だったこともあり、開拓は困難を極めました。
しかし、近くを流れる精進川から用水路を引き、稲作や果樹栽培を行うことで、明治20年代には、開拓が軌道に乗るようになりました。
これらの農作物の中でも、リンゴは「平岸リンゴ」と呼ばれ、海外に輸出されるまでになりました。
札幌神社の遥拝所ができる
入植から十数年が経ち生活が安定し始めた頃、住民たちは村の氏神として神社を創建したいと考え始めました。
実際に、明治20(1887)年頃の数年間にわたり、村では神社設立に関して何度か話し合いがもたれた記録が残っています。
しかし、経費不足や意見の不一致など、何らかの理由で神社を設立するまでには至りませんでした。
その結果、天神山の一角を「神社創立予定地」として、札幌神社(現在の北海道神宮)の遥拝所を設けることになりました。
明治27(1894)年に設けられたこの遥拝所が、相馬神社のルーツです。
相馬神社の創建
遥拝所の設立から数年後の明治35(1902)年、地元住民の一人が、福島県にある相馬太田神社から分霊を受け、祠を設けました。
現在地から約4km北にあったこの祠は、年を追うごとに参拝者が増え、やがて神社を設立しようとの声があがるようになりました。
こうして明治41(1906)年、北海道庁からの許可を受けて、相馬神社が創建されました。
天神山への移転
創建当初、相馬神社の社殿は天神山の北のふもと(現在地より5~600mほど北)にありました。
設立から数年が経つと、神社創立予定地だった札幌神社の遥拝所に、相馬神社を移転してはどうかとの声が上がるようになりました。
そこで地元住民は相馬神社の移転を行政に申請し、大正5(1916)年には社殿がそっくりそのまま現在地へ移築されました。
以来、相馬神社は一帯の氏神として、随時改築・改装や記念祭などを行いつつ、現在に至っています。
相馬神社のご祭神
天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)
相馬神社のご祭神は、福島県の相馬太田神社から分霊を受けた「天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)」です。
あまり聞きなれない神様ですが、『古事記』では神々の中で最初に登場し、すぐに身を隠してしまう至高の神とされています。
天之御中主大神は万物を統べ、その生育や発展を守る神様ということで、地域の開拓とその繁栄を祈ってお祀りされたものと考えられます。
相馬神社の境内
参道
相馬神社には、平岸通に面した参道と天神山緑地から通じる参道の、2つの参道があります。
このうち表参道は、かなり傾斜がきつい坂道のため、冬季の参拝には天神山緑地側の裏参道を利用することをおすすめします。
鳥居
相馬神社の鳥居は札幌軟石で作られています。
どこにも継ぎ目がないことから、一枚岩から削り出されことが分かります。
重機も発達していない当時、岩を運ぶだけでも相当な重労働だったのではないでしょうか。
なお、札幌軟石は札幌市南区で採れる石材で、明治~昭和初期に建築資材としてよく使われました。
現存する札幌軟石を使用した建造物としては、札幌市資料館(旧・札幌控訴院)などがよく知られています。
ご神木
相馬神社のご神木は、直径約120cm、高さ約10m超の、樹齢300年を超えるクリの木です。
境内は他にもミズナラやカエデ、シラカバなどが自生しており、ご神木を含む境内の林は札幌市の保存樹林に指定されています。
狛犬
相馬神社の狛犬は鳥居と同じ札幌軟石製で、鳥居と同じ昭和5(1930)年頃に作られたと推測されます。
向かって右側に鎮座する吽形の狛犬は、よく見ると胴体の表面に小さな穴がたくさん開いています。
これは、太平洋戦争後にアメリカ駐留軍の兵士によって銃の的にされたことによるものだそうです。
社殿
相馬神社の現在の社殿は昭和3(1928)年に建てられたもので、平成19(2007)年には改修工事が行われています。
この際かかった費用のうち、半分近くは平岸村以外の地域の人々からの寄付によってまかなわれました。
相馬神社が地区の住民のみならず、広く信仰を集めていたことがうかがえるエピソードです。
相馬神社の石碑
相馬神社は平岸地区の鎮守社だけあって、境内には地区の歴史を記念する石碑が多く立ち並んでいます。
馬頭観音碑
相馬神社の表参道の入口に建つのは、馬頭観音碑です。
この馬頭観音碑は、明治38(1905)年に平岸および澄川地区の人々が発起人となり、農耕馬の無事と慰霊のために作られたものです。
当初は、近隣の長専寺に建てられましたが、道路の拡張延長工事のため、昭和40年代に現在地へ移されました。
紀念千鳥石碑
札幌の草相撲(祭礼などで行う素人相撲)のまとめ役として知られた相撲取り「千鳥石」の業績を称える石碑です。
千鳥石は本名を吉田清といい、福井県に生まれましたが、明治27(1894)年頃に北海道へ渡り、道内各地の草相撲で圧倒的な強さを発揮し、絶大な人気を得たと伝わっています。
この石碑が立てられた大正6(1917)年頃には、千鳥石は平岸村に定住しており、その縁で相馬神社にこの石碑が建てられたものと思われます。
平岸開村五拾年紀年碑
平岸開村五拾年紀年碑は、大正9(1920)年、平岸の開拓が始まって50年を迎えるのを記念して、地元有志により建立されました。
表に碑銘、裏に建てられた年月日が刻まれているのみのシンプルな石碑ですが、それだけに筆舌に尽くしがたい開拓の労苦を静かに物語るかのように感じられます。
相馬神社創立記念碑
平岸開村五拾年紀年碑の手前にあるのが「相馬神社創立記念碑」です。
北海道庁より神社創立の許可を得た明治41(1908)年から10年目にあたる、大正6(1917)年に建てられました。
なお、現在地への神社の移転が許可されたのも同年のことで(実際の遷宮は許可に先立つ大正5年に行われている)、記念碑建立の背景には、そのような事情もあるのかもしれません。
相馬神社のまとめ
相馬神社のある天神山は緑地として整備され、日本庭園や北海道最古の藤といわれる天神藤の他、平岸天満宮・大平山三吉神社など、比較的コンパクトな範囲に多くの見どころが点在しています。
自然に囲まれて、心身ともにリフレッシュしたい方は、ぜひ相馬神社とその周辺を訪れてみてください。