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神社仏閣

札幌祖霊神社(札幌市中央区)

2024年10月20日

都会の中に佇む札幌祖霊神社

札幌祖霊神社の全景

札幌の街中を歩いていると、突然視界に飛び込んでくる鳥居があります。

それが、ビルが立ち並ぶ都会的な街並みの中に佇む札幌祖霊神社です。

この神社は、北海道に移住した開拓民のため明治の初めに建てられた葬祭場を起源とし、先祖の霊をお祀りする場として発展しました。

今回は参拝した時の様子を織り交ぜつつ、札幌祖霊神社の歴史や魅力をご紹介します。

札幌祖霊神社のご由緒

札幌祖霊神社の起源

札幌祖霊神社の社務所と五芒星の神紋がデザインされた神社幕
札幌祖霊神社の神紋は、開拓使のシンボルマークと同じ五芒星

札幌祖霊神社の起源は、北海道開拓が本格的に始まった明治の初めに遡ります。

この時代、多くの人々が新天地である北海道へと渡ってきましたが、志半ばで生涯を終える人も少なくありませんでした。

明治4(1871)年、こうした人々のために北海道開拓使は、暁野墓地という共同墓地と葬祭場を設置します。

この葬祭場が、札幌祖霊神社の始まりです。

明治政府が神道を国教とし、祭政一致を推進していた時代背景もあり、この葬祭場は神道の霊祠として位置づけられました。

明治10(1877)年には神職が常駐するようになり、開拓使の後押しのもと、札幌祖霊社は祖先の霊を祀る場として次第にその役割を確立していきました。

札幌祖霊社の発展

札幌祖霊神社の拝殿前から境内を見下ろす

明治18(1885)年には札幌神社から御分霊を受けると共に本格的な社殿が建立され、札幌祖霊社は東雲祠とも呼ばれるようになりました。

その後、月寒に駐屯する歩兵第25連隊の神葬祭を執り行うようになったこともあり氏子が増加。

明治43(1910)年の火災による社殿の焼失を乗り越えて、大正時代から昭和初期には社殿の増築や修理、鳥居や玉垣の設置が行われるなど、発展を続けました。

戦後の札幌祖霊神社

ビルに囲まれた札幌祖霊神社

終戦後の昭和23(1948)年には社名を札幌祖霊社から札幌祖霊神社に改称し、昭和28(1953)年には単立神社として宗教法人の認可を受けました(昭和47(1972)年より神社本庁に所属)。

以来、節目の年ごとに境内整備が行われ、移り変わる札幌都心にあって、現在も北海道開拓の歴史と人々の想いを伝えています。

札幌祖霊神社のご祭神

札幌祖霊神社社殿の扁額

札幌祖霊神社には、天祖三神、天照皇大神(あまてらすおおかみ)、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)、天神地祇八百万神(てんじんちぎやおよろずのかみ)、産土大神(うぶすなのおおかみ)、皇霊神(こうれいしん)、氏子祖霊神(うじこそれいしん)がお祀りされています。

天祖三神

天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)、高皇産霊大神(たかみむすびのおおかみ)、神皇産霊大神(かみむすびのおおかみ)の3柱の神々です。

日本神話で最初に登場する、天地開闢の時に生まれたとされる神々で、造化三神とも呼ばれます。

天照皇大神

日本神話における最高位の女神であり、太陽神として広く信仰されています。

日本国民の総氏神として信仰され、様々なご利益があるとされています。

大国主大神

日本神話において地上世界の国造りを行ったと伝わる神様で、開拓や国土経営の神とされています。

明治18(1885)年に札幌神社(現在の北海道神宮)からご分霊を受けたのは、この大国主大神と考えられます。

天神地祇八百万神

日本神道における全ての神々を指します。

なお、天神地祇は天津神(高天原=天上世界の神々)と国津神(地上世界の神々)の総称です。

産土大神

本来は自身の生まれた土地を守る神様を指しますが、現在では氏神や鎮守神と同じく、一定の地域の守護神とされています。

皇霊神

歴代の天皇・皇族のご神霊です。

氏子祖霊神

氏子の方々の祖先の霊です。

札幌祖霊神社の境内

社殿

札幌祖霊神社の社殿

拝殿に続く長い階段が特徴的な、札幌祖霊神社の社殿。

一般的な建物の2階に相当する高さにある拝殿からは、境内を見下ろすことができます。

石灯籠など

札幌祖霊神社の石灯籠

境内には石灯籠や手水鉢、玉垣や社号標など、戦前や戦後すぐの頃に造られた石造物が数多く残されており、かつての札幌祖霊神社の姿を今に伝えています。

中でも明治36(1903)年奉納の石灯籠は、明治43(1910)年に社殿が焼失する前の札幌祖霊神社の面影を偲ばせる貴重なものとなっています。

札幌祖霊神社の手水鉢

手水鉢は昭和13(1938)年奉納。

この年には、社殿の屋根や玉垣、石灯籠の修繕なども行われています。

石造りの倉

札幌祖霊神社の石造りの倉

境内の中でもひときわ目を引くのが、札幌軟石で作られた倉です。

建築年や用途などは掲示されていませんが、参考文献に記載のある昭和13(1938)年竣工の石造骨殿(納骨殿)とは、この石倉のことかもしれません。

五芒星の神紋がデザインされた札幌祖霊神社の石倉の破風飾り

五芒星の神紋がデザインされた、倉の破風飾り。

札幌祖霊神社と開拓使のつながりの深さが感じられます。

開拓初期の札幌に想いを馳せる札幌祖霊神社

札幌祖霊神社の社殿

墓地に隣接した葬祭場に起源を持つ札幌祖霊神社。

開拓が始まったばかりの明治初期、神社の周辺は笹や木が生い茂る札幌の街はずれだったといいます。

それから1世紀半の時が流れ、急速に都市化が進みビルに囲まれた札幌祖霊神社の姿に、札幌の発展の歴史を感じ取ることができます。

札幌祖霊神社は、すすきのや大通公園から徒歩圏内に位置しています。

ぜひ足を運び、時代の移り変わりに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

アクセス

アクセス:札幌市営地下鉄南北線「中島公園」駅より徒歩9分、札幌市電「資生館小学校前(西創成)」から徒歩4分

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参考文献
「札幌祖霊神社創立百周年記念誌」(札幌祖霊神社創立百周年記念事業奉賛会 編/1971年)

「さっぽろ文庫39 札幌の寺社」(札幌市教育委員会 編/1986年)
「新札幌市史 第1巻 通史1」(札幌市教育委員会 編/1989年)
「新札幌市史 第3巻 通史3」(札幌市教育委員会 編/1994年)
「新札幌市史 第5巻 通史5(上)」(札幌市教育委員会 編/2002年)

  • この記事を書いた人

福島智美

札幌生まれ、札幌育ちの文学修士。学術からビジネス実務の道へ転身し、山口と共に起業する。学芸員資格者でもあり、北海道博物館での実習経験もある。本サイトでは史跡や寺社などを担当。趣味は和装とフィギュアスケート観戦。

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